|
|
|
|
Takarazuka Opera : "The Rose of Versailles" |
|
村山先生、2002年のお正月は如何お過ごしでしょうか?たまたまTVで宝塚歌劇団の「ベルばら」の2001年版を見ましたので、バックナンバーを調べますと1990年版の「ベルばら」のベータ版テープが残っていました。お正月三が日をこの有名なヒット作品の鑑賞と分析に当てました。宝塚歌劇団は今年で創立88周年を迎えるとのことであります。若い女性だけで演ずる歌劇として世界でも稀有の存在であり、数々の人材を輩出して来たことでも知られています。その長い歴史の中でも、この「ベルばら」は恐らく最大のヒット作品でありましょう。1972年から翌年にかけて少女向け漫画雑誌「マーガレット」に連載された池田理代子さんの原作を1974年に宝塚歌劇団が舞台化して1976年まで、同歌劇団の各組によって入れ替わり立ち代り上演されました。当時の四組、月組(1974)、花組(1975)、雪組(1975−6)、星組(1976)とそれぞれ宝塚と東京で上演された記録が残っています。そして13年後の1989年に星組によって再演されたのであります。当時の星組のトップ日向薫と娘役トップの毬藻えり、大輝ゆう、麻路さきの他に、花組次期トップの真矢みきの参加を得て華々しく復活してこの年の作品の完成度は高いと評価されました。その後は2001年に三回目の再演がありました。今後とも繰り返し上演されるものと予想されます。原作者の池田理代子さんは最近音大の声楽家を卒業されて歌手になられましたが、現在イタリア語版「ベルばら」を制作中と伺っています。 さて、1990年版の「ベルばら」は「マリー・アントワネットとフェルゼン篇」と呼ばれている作品であります。オーストリアのハプスブルク家出身のフランスのルイ16世の王妃マリー・アントワネットに毬藻えり、スウェーデンの貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンに日向薫、国王ルイ16世に千秋慎、マリーの後見人メルシー伯爵に深山しのぶ、マリーの母マリア・テレジアに恵さかえ、兄のオーストリア皇帝ヨーゼフ2世に天地ひかり、ルイ16世の弟のプロヴァンス伯爵に泉つかさ、男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェに大輝ゆう、盲目の騎士アンドレ・グランディスに麻路さき、典獄ベルナールに一樹千尋、その妻ロザリー・ラ・モリエールに綾瀬るり、アンドレの友人騎士のジェローデル少佐に真矢みき(花組)、革命軍のスパイで宮廷を調査する貴婦人に変装したジャンヌに花愛望都、悶絶夫人のモンゼット侯爵夫人に岸香織、失神夫人のシッシーナ公爵夫人に城火呂絵、ランベスク侯爵夫人に鞠村奈緒、カロンヌ子爵夫人に出雲綾、ノワイエ伯爵夫人に久留実純、ランバール公爵夫人に阿樹かつら、ブイエ将軍に吹雪仁美、フェルゼンの妹ソフィアに羽衣蘭、マリー・アントワネットの少女時代を青山雪奈、第二部の冒頭で演じる小公女の一人にも青山雪奈、もう一人の小公女に絵麻緒ゆう等の出演。主役以外は何度も入れ替わって演じたとのことであるが、私の所蔵版では以上の配役になっています。因みに我等がモーツァルトは6才の時、ウィーンの宮殿で幼いマリー・アントワネットに初めて会った時、「結婚しよう!」と言ったと映画「アマデゥス」でヨーゼフ2世が26才になったモーツァルトの前で述懐するシーンがあります。 物語は良く知られている様に、1789年に勃発したフランス革命によって、ルイ16世一家が断頭台に送られるという歴史的史実に基づいて、マリー・アントワネットを主人公にして悲しい愛と死を描くもので悲劇ではあるが、宝塚の手法に係ると悲しみよりも可憐な美しさを前面に出して、少女漫画の美学をそのまま表現している。最後のシーンでマリーが断頭台への階段を一人で登って行く処で幕が降りる。悲しさを通り越して美的感動を覚えると云う方が正確であろう。この同じ題材でオペラ・セリアを書けば重々しく悲しいフィナーレとなったであろうと想像します。 第一部の幕が開くと赤い華麗な正装のマリーが良く知られたテーマ曲を歌う。フェルゼンとオスカルも登場して三重唱となる。オスカルは白いドレス、フェルゼンは白いドレスにブルーのたすきをかけて三人とも踊りながら歌う。その他多数の踊り手も出て合唱しながら輪舞する。オペラで云えば前奏曲に相当する部分であるが、宝塚では歌と踊りで{オープニング}を飾る。テーマ曲のメドレーの美しい音楽で最初から盛り上がりを見せる(3:43)。 {第一場}オーストリアのシェーンブルン城で14才のマリー・アントワネットがパリへの出発を前に、母親のマリア・テレジア女帝から訓示を受けるシーンである。人形のステファンを抱いたマリーは健気に、母の「立派なフランス人になりなさい」という教えを素直に聞く。{第二場}では合唱と共にパリへ向う馬車でマリーが歌う第一歌「ランラン鈴の音軽やかに〜」が可愛い(1:48)。{第三場}ベルサイユ宮殿の一室、16年後のマリーが舞台中央にせり上がって登場、濃紺の正装で歌うテーマ曲第二歌「青きドナウの岸辺に生まれた一粒の種、セーヌの岸辺に咲く美しい薔薇の面影〜」(0:51)。オースオリアからついて来た後見人のメルシー伯爵と昔話をする。人形のステファンをメルシーに取り上げられたと当時を懐かしむ。突然、16世の弟プロヴァンス伯爵が入って来て、市民の暴動が始まったと告げるが、ルイ16世は取り合わない。メルシーが「暴動ではなく、革命です」というと国王は仰天して宝石箱を落とす。{第四場}フェルゼンが花道に登場、第三歌「いつも叶わぬ恋をして〜」を歌い、マリーへの恋心を吐露する(1:20)。舞台に上がると赤い正装の男装の麗人オスカルが登場、親友のフェルゼンに王妃のためにも故国スウェーデンに帰る様に説得する。フェルゼンが去るとフェルゼンに寄せる思いの独白の第四歌「わたしの愛の巡礼、見知らぬ国を今日もさ迷う〜この女心を誰が知る」をオスカルが歌う(1:33)。大輝ゆうのオスカルは主役のフェルゼンの日向薫、マリーの毬藻えり達の誰よりも華やかで美しい。大輝ゆうはトップにはならなかったが、その時代の宝塚を象徴する存在である。{第五場}革命軍がベルサイユ宮殿に送り込んだ女スパイのジャンヌが正装して貴婦人達と口論していると、オスカルが颯爽と登場、悶絶夫人や失神夫人を参らせる。オスカルは革命軍がベルサイユにも迫りつつあると告げるが貴婦人達は気にしない。{第六場}決闘で片目の視力を失ったアンドレが登場、ロザリー、ベルナール夫婦にオスカルを守るのはお前の役目だと言われ、命に賭けてもオスカルを守ると誓う。{第七場}宮殿の池に浮かぶ舟の上での二重唱、フェルゼンとマリーの最も幸せな一時である。第五歌「人には別れがある様に〜」(0:57)とテーマ曲第六歌「愛それは悲しく、愛それは切なく、愛それは苦しく、愛それは儚く〜」(1:03)を美しく悲しく歌い上げて、初めての出会いの時を振り返る。{第八場}オスカルが水色の軍服で現れるとジェローデル少佐が登場する。花組次期トップの真矢みきであるが、さすがに既に貫禄があるが星組の主役達を引きたてる役に回る。オスカルはパリの市民を守るために衛兵隊に志願することをジェローデルに告げる。オスカルが歌う第七歌「人はみな幸せに〜」(1:27)。{第九場}ルイ16世の部屋。フェルゼンが帰国の挨拶に来る。国王はマリーのためにと引きとめるが決意は堅い。ピンク色に正装のマリーは立ち聞きして、王の寛大な心を知り、過去を捨ててブルボン王朝を守る決意をする。{第十場}フェルゼンはアンドレに「オスカルを守れ。恋愛に身分はない。」と強く言い渡す。フランスを去るフェルゼンの第八歌「いのち賭けた愛〜男は一人旅に立つ」(1:32)。{第十一場}貴婦人達がジャンヌを取り囲んで誹謗する。ジャンヌは衛兵に逮捕されるが、「何時かお前達に復讐する」と捨て台詞を残す。{第十二場}デュローデルの歌う第九歌「〜オスカル、君は心の白い薔薇〜」(1:16)。アンドレに剣を近づけそれが見えないのに、オスカルを守れるのかと問い正すが、アンドレのオスカルへの強い愛に同情する。アンドレの歌う第十歌「ブロンドの髪ひるがえす、青い瞳の〜ああ忘れじの君〜」(1:15)。{第十三場}パリでの決戦を前にオスカルの部屋。オスカルとアンドレはこの夜、お互いの愛を確かめ合う。愛のテーマの二重唱第十一歌「愛それは強く、愛それは貴く、愛それは気高く、アイ、アイ、アイ〜」(1:12)。{第十四場}ロザリーとベルナールがオスカルのパリ行きを止めようと相談するが、時既に遅し。{第十五場}パリ市内の戦闘が始まる。凛々しく白い軍服のオスカルはブイエ将軍の命令に反して、史実の通り市民側に造反を宣言する。この戦闘でまずアンドレが倒れる。第十二歌「ブロンドの髪ひるがえし〜」を歌いながら死す(0:26)。次いでオスカルも倒れる。ベルナールが「隊長、バスティーユに白旗が〜」と告げると、フランス国家が流れる中、「フランス万歳!」とつぶやいて力尽きる。この場の演出には寸分の狂いもない。{第十六場}ベルサイユ宮殿でメルシーとジェローデル、ブイエらが徹底抗戦を話し合っていると、国王は「パリへ行こう」と言う。マリーも「フランスを救うために私はパリへ行く。マリー・アントワネットはフランスの女王なのですから!」と叫ぶと第一部が終了する。 第二部の{オープニング}は二人の小公女達の語りと歌と踊りで幕を開ける。テーマ曲「嵐は嵐は花を散らせて行く〜」(2:37)。{第十七場}ストックホルムの郊外。民俗舞踊と第十三歌民謡が歌われる(1:42)。そこへジェローデルと女官マロン・グラッセがフランスから到着、マリーと国王一家を救って欲しいと訴える。フェルゼンは妹ソフィアの止めるのも聞かずフランスに再び戻る決意をする。{第十八場}オーストリアのシェーンブルン城の一室。フェルゼンがマリーの兄ヨーゼフ二世に拝謁を願い、フランス国王一家の助命を働きかける様嘆願するが、国王は「国と国の付き合いには個人の犠牲はつきもの」と敢えて取り合わない。フェルゼンの歌う第十四歌「〜別れがこの世の定めなら〜」(1:47)。{第十九場}パリの広場。ジャンヌが貴婦人達を縛り上げ、市民と共に踊りながら歌う第十五歌「苦しかった日を忘れてはならない〜あの女をギロチンに!」(1:21)とマリーの処刑を煽る。{第二十場}ロザリーとベルナールが登場して国王の国外逃亡を助けようというベルナールをロザリーが止める。二人の重唱第十六歌「もう十分に我々は血を流した〜」「いけない、いけない、最後の誇りを〜」(1:33){第二十一場}フェルゼン、パリヘ急行する。第十七歌「かけろ、かけろ、大空を行くペガサスの如く〜」(1:49)。{第二十ニ場}フィナーレは15分34秒。歌ではなく、台詞が中心。マリー・アントワネットの最後を描く暗い牢獄に、最後の面会人、メルシー伯爵が人目を忍んで来る。あのステファン人形をマリーに返しに。その後、突然にフェルゼンが。国外にお連れすると懇願するフェルゼンにマリーは感謝しつつも、「わたしは女王であると同時に、王太子と王女の母です。世間と同じ様な普通の母です。子供達を見捨てて如何して逃げられましょう?」と言う台詞は聴く者の胸を打つ。フェルゼンの歌う最後の第十八歌「愛それは悲しく、愛それは切なく、愛それは苦しく、愛それは儚く〜」(1:21)。マリーが「さようならベルサイユ。さようならパリ。さようならフランス!」と叫んで断頭台への階段を一人で登って行くところで幕は降りる。この第二十ニ場でマリーが始めに語る「死の足音がもうすぐそこまで近づいて来ている〜」は、ジョルダーノのオペラ「アンドレア・シェニエ」の終章でシェニエが歌うアリアから採っていると思われる。シェニエは恋人マッダレーナと二人で昇天したが、マリーは恋人を残して一人で召された。王妃である誇りからであろうか。どちらもフランス革命が背景にある作品であるが、オペラのそれは重く深い感動を呼ぶのに対して、「ベルばら」のフィナーレは美しくも軽やかに終わる。オペラのアリアに相当する歌は何れも平均1分30秒であり、これは一節しか歌わないためであろう。劇中の台詞も長く、踊りの時間も多く取っているから歌唱の時間が圧縮されているのであろう。 この宝塚歌劇の最高作品「ベルばら」は、この30年間約10年毎に再演されたが、更に70年後まで生き残り古典となるかどうかは2070年までは分からない。それには池田理代子氏が現在計画しているイタリア語オペラ化に全てが係っていると言える。オペラでは幕が降りてもカーテンコールが続くのが普通であるが、「ベルばら」では主役達が素早く着替えて、「薔薇のタンゴ」(2:37)、「ボレロ」(3:52)と全出演者による歌と踊りで応えるオールキャスト・ダンシング・フィナーレで華麗に飾る(5:55)。歌唱では主役の日向薫が際立っていた。フィナーレの毬藻えりの長い台詞は緩急を心得て彼女の歌唱よりも素晴らしかったし、あの終章は歌では表現し得ないものであった。踊りが宝塚の看板であるからその熟練度は高い。舞台と花道の間に位置するオーケストラの演奏は上演回数を物語る正確なものである。音楽と歌は、「美しく、覚えやすく、親しみやすい」と定評のある通りであり、その音楽を作曲出来る方は寺田瀧雄先生をおいて他にはいないであろう。日本語の歌詞と音楽は可能な限り合致していて並々ならぬノーハウの蓄積を感じる。歌はシャンソンに近い感覚で歌われており、フランス公演がかって好評を博したと伝えられた。オペラでもなく、むしろミュージカルに近い歌と踊りの歌劇が宝塚に88年間異彩を放って来たことを日本人はもっと誇りに思って良い。宝塚歌劇団の21世紀での更なる世界への飛翔を期待する者である。 |
|
||
You are my love to whom I'm devoted ! |
||
|
7 Jan 2002 |
|
|
||
|
|