タイトル | : Re^2: 罪と悔悟の解釈 |
投稿日 | : 2008/01/21(Mon) 11:10 |
投稿者 | : 自称宗教研究者 |
Salamさん、ありがとうございます。
> それについて疑問に思うカソリックの人はいないのでしょうか。その時の‘その> ’パンやワインがそうだったとしても、現在教会で配られるパンやワインはそれ> ではないでしょう。そうすることに何か意味を持つのかどうかカソリックの人は> 疑問には思わないのでしょうか。
> この場合もキリストがしなかったことをするのはその後の人々が勝手に儀式とし> て作った。という捉え方になります。
はい、一部、おっしゃるとおりですが、
ですが、イスラムの人たち同様、神にどうして?と聞くことはならず、聖書にそう書いてあるから、が答えになるかと思います。
教会によって丸い白いパンを小麦粉などで作るところと、食パンをちぎって出すところとがありますが、どちらにせよ、ミサや礼拝中に、聖職者がそれを神聖なるものに変換(?)するような儀式があります。(聖書でイエズスが行ったことと同じことを聖職者が行う)
なので、見た目は、単なる食べ物ですが、イスラム同様、疑い無しに信じるほかない、というところでしょうか。
> それと、イスラムには人々の間に位がありません。神の前では皆同じです。
そうですね。
キリスト教に疑問を持つものですから、イスラムに対して大変同意を感じています。
また、キリスト教と仏教は精神的なものであり大変理想的ではありますが、現実的な部分、つまり社会的に現実にどうなのであろうか、といった場合、それが聖書に書いてありませんから、単に「許せよ」といわれたって、「欲を持つことはよくない」といわれたって、、、、ということで
現実、生きていくには戸惑いが多く、それこそ、人間は罪を持っている、ということを常に感じながら生きていくほうが多いのです。
キリスト教は暗い、というイメージも大きいですよね。それがその罪意識だと思います。
マインドコントロールではないか、と思うことがありますが、いかんせん、やはり信じている信仰であるかぎり、悲しいかな、そう思い込んでしまうのが人間のサガなのかもしれません。
それに対して、イスラムは感心するばかりです。
> ヨーロッパではよく神父が子供を犯したなどという事件も相次いでいます。神の> 使いであるものであればそのような過ちを犯すでしょうか。それらの神父を神の> 使いだと信じているキリスト教徒はそれでもそう信じられるでしょうか。
そうなのです。そこもキリスト信徒は悩むといいますか、矛盾を感じながらもそれを声にすることもできず(いけないことのような感じがして)、疑問を持っている人は大変多いと思います。
アブラハムはご自身を「預言者」と言いましたので、人間らしい過ちを起こしたこともあっても、責められることや疑問に思われることもないでしょう。
アブラハムを神化していませんものね。
そこが、キリスト教と大きな違いの1つなのでしょう。
> アッラーは音も言葉もなしに伝えることができます。
これは、たぶん、私が推測するに、人間には自由意志があるが、そうさせているのは、神であり、それがアッラーの声、意思なのだろうか、と。
> しかし、預言者以外の人間がアッラーを聞くことが(声ではありません)できる> かどうかは、恐らくないと思います。(ご存知の方いらっしゃれば指摘をお願い> します。)
一般的に、そういわれているようですよね。
ですが、それは「預言」について、ではないでしょうか、と私は思っているのですが…。
つまり、人間がちょっとしたことで「神よ、、、」と祈ったり、問うたりするときに、神の声が聞こえることはあるのではないのだろうか、、、と。私は思っているのですが、コーランにどう書いてあるのか(私はまだまだ読みきれていませんので現時点では分かりません)、或いは現地のイスラムの人たちはどうなのであろうか、という疑問が残ります。
> シェイターン(悪魔)は人間をそそのかしますので。悪いことを人間に囁きます。
そうですね。これはキリスト教も同じですね。
悪魔である場合もある、と。
> 改宗してからも、知らずに罪を犯してしまうことだってあります。その場合はそ > れが罪だとわかった時点ですぐそれをやめ、二度としないことを心に決め、した> ことを後悔します。
たとえば、ですが、
改宗前に豚肉を普段食べ、酒タバコも呑んでいた人が(普通の日本人の生活ですよね)、
イスラム教徒になった場合、信仰宣言をしたときに、それらの過去をこれからは「罪」となるのだから、これからはいたしません、と罪となったことを認め、決心すればよい、ということになりますね。
改宗前はそれらの行為は罪ではありませんし、また、罪と知っていたわけでもないですものね。
ある書籍に、天国に行ったら、お酒を飲んでもいいし、複数の処女を抱いてもよい、とありました。
では、タバコはどうなのでしょうか?
どこかにタバコもいけないとあったのですが…。
下世話な話ではありますが。
それと、天国に行った場合のことは男性のことばかりですけれども、女性は天国に行ったらどうなる、ということはコーランにどう書いてあるのでしょうか。