タイトル | : Re^3: 離婚した場合、罪の清め、など |
投稿日 | : 2008/01/19(Sat) 09:43 |
投稿者 | : 自称宗教研究者 |
もう少し具体的に、書いてみます。
「これは、あなたがたのために渡されるわたしのからだである」
「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」ということを
イエズスは言いました。
それは、最後の晩餐のときです。
そして手元にあったパンとぶどう酒を人々に配ってそういわれた、と聖書にあります。
大切なのは、「あなたがたのために」ということで、イエズスが苦しみ死ぬことは、偶然でも仕方なくでもない、あなたたちのためにだけそうするのだ、だからその前にわたしのすべてをこのパンとぶどう酒に託してあなたがたにあげよう、というのです。
そこで手渡されているのは、イエズス自身であり、いのちをかけたイエズスの愛、といわれています。
イエズスは彼を見捨てて逃げようとしている弟子たちに、無条件で再現のない自分の愛を告白しているのです。
「私の記念としてこれを行いなさい」ともイエズスは言っています。
そしてこのイエズスの愛は、神がこの世に生を受けたすべての人に対する神の愛といつくしみの表明としてこのことをすべての人は忘れてはならず、それを思うとき、だれもがこの世で善き者として生きていく勇気を得ます。
パウロが「わたしたちがまだ罪びとであったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことによって、神はわたしたちに対する愛を示された」と言っています。
ミサでは、このイエズスの言葉
「これは、あなたがたのために渡されるわたしのからだである」
「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」を聖職者である神父が祈りながらたかだかと、ご聖体(パン)とワインを掲げます。
と同時に、鈴がなって信徒は頭を下げます。
それらのあと、ご聖体を頂きます。