タイトル | : Re^9: イスラームとの両立 |
投稿日 | : 2009/08/23(Sun) 23:29 |
投稿者 | : MI |
アッサラームアライクム ラマダーンカリーム
> 返事ありがとうございます。
こちらこそお返事ありがとうございます。
> 初めは人にこんなこと言えない。と思ってちょっと遠慮しながら信じてないように思う。と書きました。
>
> でも、本当の気持ちを書かないと。と思い、信じていない。に変わりました。
そうでしょうか。最新の書き込みも拝見しましたが、匿名さんは「アッラーはいない」と否定されているのではないので信じていない訳ではないと思いますし、信じたいっておっしゃってましたよね。
ただ、地獄のこととか、それに伴ったアッラーに対する思いに、私からすると、それは違うと思う…、って思ってしまうところがあります。
> アッラーの存在を信じているか否かは、はっきりしているべきだと思ってしまいます。
>
> 信じているか、いないか、しかありえないと思うのです。
私もkawtharさんがおっしゃるように、匿名さんはすでに信じていらっしゃると思うのですが。
> 私は自分に厳しいのではありません。 むしろ甘すぎると思います。
そうですか?
> 厳しいのはアッラーなのです。
>
> 私がどんなに苦しみ努力していても「アッラーを信じていない」のなら地獄行きです。
>
> いろいろなところで、時々「私も地獄に行くかも」のような発言をみかけますが、地獄の恐ろしさをじっくり考えられたことありますでしょうか?
地獄の恐ろしさをじっくり考えたことは多分あると思います。
> ものすごいところのようですよね。
そうですね。永さも熱さも苦しさも、生きている今考えるとほとんど想像がつかないです。
生きているときにぐつぐつしている熱湯なんてのどを通せませんし…。
> もう、この世のすべての苦しみをあわせても全然かなわないような、ものすごく凄惨な苦しみを味わわせる所です。
> そんなところへ人間をいれてしまうのがアッラーです。
この世のすべての苦しみがよくわからないので、それをあわせるのは更に想像できません…。
そこに入るのはアッラーを信じなかった人たち、従わなかった人たちです。
> 「我を信じなければ地獄へ入れる!」と言っているのがアッラーです。
信じないことは行わないことで、行わないことは世の中が乱れることだと思います。
困っている人の手助けをしないとか、そういう系統の道徳的なことは法律で罰せられるわけではないですし。
> 今日、焼身自殺した中学生のニュースが出ていますが、ご覧になりましたか?
知りませんでした。ネットで見ました。
> 彼は生きている間にどんな体験をして、焼身自殺に至ったのでしょうか?
わかりませんけど、いじめが頭に浮かびました。いまのところそういう情報は無いようですが。
> イスラームでは「自殺した者は永遠に地獄からでられない」のです。
> 彼が生きていたときや、死んだときの苦しみなど、なんでもなかったと思うような本当の地獄が永遠に彼を待っています。
> これがイスラームの真実ですよね。
でもアッラーは、ある自殺者を、預言者(SAW)の許に移ったことを賞し許されたというハディースもあります(日訳サヒーフムスリム第1巻P88)。
クルアーンの8章74節にあるように、赦されたわけです。もちろん、特殊な例だとは思います。
> ムスリム以外は天国には入れないはずですから、日本人の大半は地獄行きです。
もう亡くなった方はそうかもしれませんが現在生きている人達が死ぬまでムスリムにならないかどうかは分かりません。
> 繰り返しになりますが地獄は物凄いところです。
> そこへ人間をいれてしまうのがアッラーです。
それはアッラーを信じなかった人たち、従わなかった人たちです。
> 私がアッラーを信じられなくて苦しんでも、日本人がイスラームと触れ合う機会が少なくても、それはすべてアッラーが望まれた事。
> そして、アッラーを信じなければ永遠の地獄が待っているのです。
上の文の方、これが「何か違う」って思ってしまうところです。
信じられずに苦しむことをアッラーが望むでしょうか?そんなわけない、と思います。
「匿名さんの力になりたい」と皆さん思っているのでは?、とシンショーヴナさんもおっしゃっているように、私もそう思っています。
私達人間でさえそのように思うのに、信じたいと思っている匿名さんを人間を作られたお方が放っておかれることがあるでしょうか?
皆さんがこうして好意的に書き込みをされていることが、匿名さんが苦しむことをアッラーが望まれない証拠だと私は受け止めます。
また、日本人がイスラームと触れ合う機会が少ないとおっしゃることに関しては、今、まだ少なく感じるかもしれませんし私もそう思っていたのですが、
よく考えたら、たとえば5年前、10年前、50年前と遡れば、ずっとずっと身近になったのではないでしょうか。
アッラーがイスラームが広まることを望まれていなければ、今の状態にさえなっていないだろうと思います。
> 地獄の存在が、私をイスラームから遠ざけます。
> どうかんがえても自分が創った人間を1人でも地獄に入れるなんて、私には受け入れられないのです。
聖書にある例えですが、地獄で焼かれるのはよい実をつけない木です。よい実をつける木が焼かれるのではありません。クルアーンにもよく出てきますよね、こういう人とこういう人が同じだろうか、っていう箇所が。
このように違う人々が、同じ評価をされると思いますか?
この世で現実として考えても、いつまでたってもよい実をつけない木は、抜かれて焼かれるのではないでしょうか。
> この世にはものすごく悪いことをした人間もいます。
> でも、神ならばそういう人の魂をこそ救って欲しいと思ってしまうのです。
ですから、そういう人を救うために、預言者を使わされ、啓典を下され、また種々の印を明示されているわけです。
すべての罪を許されるお方だから悔悟してかれに帰るよう呼びかけられています。
> 悪人は決して幸せな人生を送ってはいないでしょう。 精神が正常ではなかった人なのだと思うのです。
どういう種類の悪人か分かりませんが、実際に精神が異常なら罪には問われないのではないかと思います。
おっしゃっているのは殺人のことかな、と思うのですが、他にも悪いことはいろいろあります。
量りをごまかしたり高利を取ったり、詐欺でお金を得たりしている本人たちは、物質的には幸せな生活を送っているのではないでしょうか。
こういう、人を苦しめることをしているのに自分達はいい事をしている(得している等)と思い、悔悟することも無く一生を終えた人たちと、そうではなかった人たちが、一緒にされることを匿名さんは望みますか?
> この世ではありえない「やったほうもやられたほうも幸せで何の問題もない世界」を成立させてほしい。
例えが適切ではないかもしれませんが、努力して合格点をとる受験者と、勉強せず、それどころか努力していた受験者を妨害していた人までいる不合格の受験者を同じに入学させてほしいというようなものです。
本当にありえない、不公正なことだと思います。
> 地獄があることが前提でなりたっている天国が私にはうけいれられないのです。
私は、改宗前だったかもしれませんが(天国に入れたとして、地獄で苦しむ人がいるのに楽しむことが出来るだろうか)と考えたことがあるように思いますが、今は思いません。
多分、クルアーンを読んだこと、多少理解したことで、心の中にあった(地獄に落ちる人はいてほしくない、みんな天国に入ってほしい)のような、願望みたいなものが無くなったからではないかと思います。
> 真剣に自分が地獄に行く事が決定していると仮定して考えてください。
> 地獄に行く事が決定している人は実際にいます。
> 自殺した人、多神教徒のまま死んだ人。
> その人たちの事を考えると、クルアーンを信じる事ができなくなります。
多神教徒についてだけ触れますが、アッラーは、人間が生きている間、食べ物、飲み物を与え、病気を癒し、家族を、財産を与え、またそれらを増やされています。
そうして生きている間ずっと慈悲を与えられ、必要なものを与えてもらっているのに、それを与えられた方ではなく、何も与えることの出来ないものを拝んでいるからお怒りになられるのだと思います。
ご存知かもしれませんが、地獄からアッラーの慈悲によって天国に入る人がいることがハディースに出てきますよね(人数はわかりませんが)。
> でも、きっとイスラームは正しいのでしょう。
> 私に理解できないからと言って、イスラームが真実でない。などとはとても言えません。
私も正しく理解できているわけではないと思いますけど…。
> イスラームを信じる。ということは決して推測ではいけないと思います。
> アッラーとその使徒、その他、天使などを確信を持って信じていなければ、その目で見たように信じていなければそれは信じているとは言えないと思います。
いると思うなら、いると信じているのだと思います。
> 私はどうしてもそれができない。
>
> アッラーはとても寛容ですが、「アッラーを信じているかどうか」の一点については非常に厳しい。
こちら↓とか読まれたことあります?
一部分コピーしますが、時間があればリンクをクリックして読んでみてください。
悔い改める者の道しるべA
http://blog.goo.ne.jp/qurtaf/e/639dfbbf05ae43f87d4d0b2a3d5beb33
≪かれらのうち、わたしに近づこうとする者に、わたしは遠くから彼を迎えるだろう。また、かれらのうち、わたしに背く者を近くから呼ぶだろう。わたしを想う人々は、わたしを愛する人々であり、わたしに感謝する人々は、わたしの(糧の)追加を享受する人々。わたしに対し罪を犯す人々に、わたしは、わたしの慈悲を諦めさせるようなことはしない。かれらが悔悟すれば、わたしはかれらを愛する者となり、悔悟しなかった場合、わたしはかれらの医者となろう。わたしはかれらをありとあらゆる災難で試すが、それはかれらを罪、欠点から浄化するため。わたしの許では善行一つを、10倍からそれ以上に増やそう。悪行はそのまま数えられるが、わたしはそれを赦すだろう。わたしは、母親が子供に愛情を寄せる以上に、しもべに愛情深いのである。≫ (ハディース クドゥスィーより)