[リストへもどる]
一括表示
タイトルイスラームとの両立
記事No1712
投稿日: 2009/07/29(Wed) 13:06
投稿者匿名
またうつ病と診断されました。
これまでにも何度か発病し治療しました。

「頑張る」
「〜であるべき」
「〜しなければならない」
「評価される」

これらを避けなさいと言われるのですが、ムスリムとして生きていながらどうやってそれを避ければいいでしょうか。

もともと超マイナス思考ですぐうつ症がでます。
ムスリムになってうつ症がでる頻度が高く、頻繁になり、深刻さも増しています。(との医師の話)

生きているだけでいっぱいいっぱいなのに(本当は生きていたくない)、その上やらないと地獄行きになるぞ。という義務があることを知ってしまいました。

入信は10年以上前です。
まだ辛いだけなのです。

タイトルRe: イスラームとの両立
記事No1713
投稿日: 2009/07/29(Wed) 23:16
投稿者mira
アッサラームアライクム

こんにちは。
うつ病でお悩みのようですね。

生きているだけでいっぱいいっぱいとの事ですが
「生きている」という事実だけでも、色々なことが見えてきませんか?
一人の人間が、母親の胎内で命を宿し、この世に生まれてくるという事は
とてもすごい事なんですよ。それだけでも奇跡のようなものです。
しかも、今現在匿名様が生きていて、こうしてメッセージを残す事ができています。
「貴方が生きている」そして「ムスリムである」という事だけでも、
そこにすばらしいアッラーの奇跡と英知が秘められている、と私は思います。

10年前、匿名様がムスリムとなるとき、皆様の前でおっしゃった言葉を覚えていますか?
「私は唯一の神を信じ、ムハンマドは彼の使者である」
イスラームの本当の真実はこの一文にあらわされているのではないでしょうか。

信仰とは自分自身と向き合っていく事で成長することが出来ます。
そしてアッラーはより信仰を深め、良い信者となり天国へ入れるように
沢山の試練を私たちに与え、それを乗り越える事を願い望んでいます。
アッラーは匿名様にも同じような事を望んでいると思います。

イスラムは約束事をきちんと守っていく事も大事ですが
同時に自身の中にある自我と向き合って行かなければなりません。
そうする事により、より強い信仰へ、より良いムスリムへと成長することが出来ます。

匿名様もあせらず、匿名様のペースで「なぜ自分はこう思うのか。」
「なぜマイナスに思ってしまうのか。」など、ゆっくりご自身と向き合ってみてください。

アッラーは全ての心の状態をご存知でいらっしゃいます。
そして全ての事に対して寛大で慈悲深きお方です。

どうか匿名様にやすらぎと平安が訪れますように。
そしてアッラーからの沢山の愛を感じとる事ができますように。

タイトルほぼ二年間、心の痛みを耐えました
記事No1716
投稿日: 2009/08/03(Mon) 04:36
投稿者黒猫   <finalfantasy512@gmail.com>
アッサラームアライカム。外人で日本語が片言です。
僕もイスラーム教の入信者です。私は強迫性障害の症状や軽いうつ病の症状で悩まされていた。
家族とよく喧嘩したというのはきっかけでした。具体的に言えば、妹とよく喧嘩しましたね。豚肉を食べれないので妹は豚のサラミをよく食べたりしていた。妹は僕の清潔な食器や食べ物の側に豚肉とかを置いたりイライラさせたりしていた。喧嘩していなかった時、家の雰囲気は悪くて不安でした。喧嘩した後、いつも強迫の考えに凄く襲われていて大変でした。抗うつ病の薬も飲み始めた。やっと、妹は家を出ても母は妹が別居してるので怒りやすくなって母とも喧嘩し始めた。毎日のように寝込んだり、家を出られなくなる状態になったりしていました。仕事もよく休んだり、上司に叱られたりしていました。
強迫の考えやうつ病の症状のきっかけは家族との喧嘩、ストレスです。だから、ストレスを避けるようにして、家族と喧嘩しないようにしています。落ちた事もあったけど、頑張ります。
匿名さんやMIさんの返事を読んでよく分かります。私は凄くシャイなのでモスクに行ってもだれとも話せなくて礼拝を終わってから家に帰ります。イスラーム教についての質問とか、大事な信仰とか、私もネットで勉強しました。それがダメです。自分で勉強すると悪魔(シェイーターン)の囁きは頭に入りやすいです。今、イスラムについての質問があればイマームにメールを送って答が出ます。家族(非ムスリム)と話し合ったり、友達と話したりしています。
いつも人々から離れると悪魔の囁きは強くなります。
今も凄く難しいのはモスクで友達を作るのこと。モスクに行っても恥ずかしくなって誰とも話せない。それが残念で乗り越えるようにします。
私の強迫の考えは宗教系でした。いつも「これを信じても大丈夫ですか」とか頭の中で考えて凄く悩んでいました。薬を飲んでイスラム教徒のカウンセラーと相談して今はいい状態です。抗鬱病の薬を飲みながら普通っぽいの生活を送っています。
今、少しだけ強迫の考えや鬱病の症状で悩んでいて、もし結婚すれば完治するでしょう。

タイトルRe: イスラームとの両立
記事No1714
投稿日: 2009/07/30(Thu) 02:42
投稿者MI
アッサラームアライクム

自分の話が多くなり、長文になってしまいましたので読みづらかったらごめんなさい。

私は改宗して3年くらいですが、ムスリマになる前年に、今までになかったような
ひどいうつ状態を経験し、以降、軽快したり時にはすごく悪くなったりしながら今に至っています。
精神科や心療内科などには改宗以前も今も一度も行けていません。
行けなかったのは、悩んでいる事柄を「これは人に話していい事なんだろうか」と、
(宗教的に)人に話していいものかどうかさらに悩んでいたことや、
そもそも病院に通うことができるか(決まった日時に外出すること、それをまた違う日にも続けることができるのか)
という不安があったこと、などが理由なのですが。
話は違いますが、当時は外出も出来ない状態でしたし身分証明も(未だに)持ってないので信仰告白も一人でしました。
イードルフィトルに一度遠出できただけであとは家で過ごしています。

今年の3月〜4月にかけて、また状態が悪くなったのですが、そのときはさすがに観念して病院に行こうと思い、
勇気を振り絞って、診察を受けるのに予約が必要かどうか病院に電話して問い合わせ、必要だったので予約しようとしたら、
ずっと予約がいっぱいだそうで断られ、他の病院は交通の便が悪いところしかなかったので通うのが無理そう…と、
また結局行けませんでしたが、なんとか悪い状態は脱し、今はやや普通に生活しています。

私は布団からまったく起き上がれなくなるくらいの状態になったことは(多分)ないのですが、
ムスリマになってから(というか去年)、
・パソコンと携帯の電源を入れられなくなったこと
(2ヶ月半とか3ヶ月くらいが一度、一月くらいが一度。1〜2週間くらいなら度々あります)
・洗濯できなくなったこと(最長で2週間くらい。なかなか出来ないときなら今もよくあります)などがあります。

掲示板も他の方の書き込みに対して返信するのはやや平気になりましたが、自分から話題を書き込んで返事を待つのは、
「それに対して返事を書き込まなければならない」という思いがあるのと、書き込みがあるかどうか確認するのが辛そうなのでやってません。

避けなさい、という以下ですが、
>「頑張る」
>「〜であるべき」
>「〜しなければならない」
>「評価される」
私は自殺の危機をなんとか通り過ぎてムスリマになりましたが、上記の様な状態だったので改宗当初は他の人と会話や
やり取りができずに過ごし、ほとんどネットの情報だけを頼りに信仰生活を送ってきたので、誤解とか勘違いがいろいろありました。
(今もわからないことはありますが、やっぱりなかなか人には質問できません)
去年ようやく他のムスリマの方とやり取りが出来るようになり、そのやり取りをする中で自分の誤った思い込みが解消されていきました。
あと、普段の生活においては、たとえば洗濯だと、「毎日しなければ。朝しなければ(または、したほうがいい)」とずっと思ってきました。
それは、午後に取り込む為だったり、近所の目を気にしてだったりしたのですが、
今は「出来るときにすればいい。午後から洗濯し始めてもいい。その日に取り込めなかったら次の日に取り込んでもいい。」等々、だいぶ柔軟になりました。
はじめの思い込みが実行できないものだったので、そうならざるを得なかったんですけど…。
匿名さんが、イスラームの義務やスンナなどで「〜であるべき」「〜しなければならない」と思っていることは何ですか?
内容は掲示板に書かなくてもいいですが、なにか、容易になるよう見直せることもあるんじゃないかと思って。


アッラーが匿名さんの病を癒してくださいますように、アーミーン。


(書き込み修正しました)

タイトルRe: イスラームとの両立
記事No1715
投稿日: 2009/08/02(Sun) 11:10
投稿者kawthar
アッサラームアライクム

ムスリムの義務を、ひとりで背負い込んでいたら、きっとつらくて仕方ないと思います。

がんばれない時は、無理してがんばらなくてもいいのではありませんか?
そもそも、人ががんばることができるのは、アッラーの御心があればこそだと思います。ムスリムが、あるべき姿でいられるのは、自分ががんばるからではなくて、むしろ、すべてがアッラーのお力であると心を完全に預けているからではないでしょうか。

自分でそうと知りつつ、また、気付かずに犯している罪を数えあげれば、きっときりがないでしょう。でも、心から悔悟する者を主はお許しくださいます。クルアーンには、何度も何度も出てきます、「悔悟してかれの許に返れ」と。

アッラーに許しを祈り、ただ、かれのしもべであり続けていたいと、私は思っています。



> またうつ病と診断されました。
> これまでにも何度か発病し治療しました。
>
> 「頑張る」
> 「〜であるべき」
> 「〜しなければならない」
> 「評価される」
>
> これらを避けなさいと言われるのですが、ムスリムとして生きていながらどうやってそれを避ければいいでしょうか。
>
> もともと超マイナス思考ですぐうつ症がでます。
> ムスリムになってうつ症がでる頻度が高く、頻繁になり、深刻さも増しています。(との医師の話)
>
> 生きているだけでいっぱいいっぱいなのに(本当は生きていたくない)、その上やらないと地獄行きになるぞ。という義務があることを知ってしまいました。
>
> 入信は10年以上前です。
> まだ辛いだけなのです。

タイトルRe: イスラームとの両立
記事No1717
投稿日: 2009/08/03(Mon) 23:13
投稿者saphia
アッサラームアレイクム

十年以上も辛い思いをされてさぞ苦しかったでしょう。

> 「頑張る」
> 「〜であるべき」
> 「〜しなければならない」
> 「評価される」
>
> これらを避けなさいと言われるのですが、ムスリムとして生きていながらどうやってそれを避ければいいでしょうか。

私も、これでとても苦しみました。なんだか、とてつもない重荷をせをった気持ちになりました。
それに、入信しただけなのに人の目が怖いんです。

何とかしたいと思っても、どうにもならない。とにかくつらい。

そうこうして、2年ほど過ごすうちにふと思ったんです。
”そうだ、自分で何とかしようと思うから辛いんだ”
”アッラーにお願いすればきっとなんとかしてくださる”

礼拝のたびにお願いしました。
”どうか、弱い私をお許しください、この苦しみをとりのぞいてください。”
それから、しばらくして自然と肩に力を入れなくても生活できるようになっていきました。

匿名さんは、ひとりぼっちじゃあありません。周囲の人たち誰一人あなたの苦しみを理解できなくても、アッラーだけはいつもあなたの心に寄り添っていらっしゃいます。頑張らなくっても、アッラーが自然とお導き下さると信じてください。

信じることは出来ますよね?頑張らなくても、、

うつ病という辛い病気も、きっとアッラーが誰よりもお傍にいらっしゃることを匿名さんに気づかせるためものかもしれません、、、

とりとめもなく書いてしまいましたが、少しでもお役に立てれば幸いです。

タイトルRe^2: イスラームとの両立
記事No1718
投稿日: 2009/08/04(Tue) 10:30
投稿者匿名
書き込みありがとうございます。

> 信じることは出来ますよね?頑張らなくても、、

これが一番の悩みです。
私は信じていないのでは?と思うのです。

10年以上前、イスラムに出会い「これを信じるのは人間の義務なんだ」と言われ、「じゃあ、やらなくては」と思ったのです。
初めはなにもわからず信じるにも何がなにやらわかりませんでしたが、実践していくうちにいつか理解し信仰心を持てるだろうと思いできることはやってきたつもりです。

でも、まだ信じられません。
すくなくとも自分では信じているという実感を持てません。

哲学としては素晴らしい教えがたくさんありますが、宗教として心に響くものがないのです・・・。

一体この先何年間「信じていること」にしてやっていけばいいのか・・・。
こういう状態で崇拝行為をするのは大変で・・・。

一体、信仰とは理性でするものなのでしょうか、それとも感性でするものなのでしょうか・・・。

「信じなさい! さもなければ地獄が待っている!!」
と、言われて「本当にそうなら大変」と思うのですが本当にそうだ。と心で感じることができません。

勉強もしてきたし、実践もしてきました。

イスラムに出会う前は「この世の苦しみさえ耐えれば終わる。 人からの評価もなにもかも生きている間だけだ」と思って、自分にできる最小限をやって過ごしていました。
それが「この世の頑張り次第で、死んでから《永遠に》評価され、それにみあったところで存在しなければならない」と知り愕然としました。
それならば何を頼みにこの世をやり過ごせばいいのでしょうか・・・。

信じたくても信じられず、ちょっとしたことですぐ病気になり、根性もなく、頭も悪く、要領も悪く、性格も悪く、マイナス思考しかできない私が何を楽しみに人生を生きればいいのでしょうか。
死んだらもっと辛い目に会うのだろうとわかっていながら・・・。
アッラーのご慈悲で地獄行きをまぬかれたとしても、天国にも「レベル」があり自分の「人間的レベル」の低さゆえに最低レベルの天国にご慈悲で入れてもらった事にあまんじなければならない・・・。

「徳の高い人々」が高いレベルの天国でアッラーの寵愛をいただいているその脇で「低い人間」として存在し続けなければならない・・・。

低い人間として生きなければいけないのは現世でだけ、と思ってなんとか頑張ってきたのに・・・。

私は何をどうしたらいいのでしょうか。

saphiaさん、おっしゃるとおり人間のうち誰一人私のことをわかってくれる人はいないでしょう。
きっとこんな事を書いて人々を不快にさせ、さらに罪が増えているのでしょう。

匿名で心のうちを吐き出せる場所として、この場所で甘えてしまいました。
自分ひとりの頭の中にしまっておくことが辛くて。

頑張れ、頑張れ、と言われ続けた10年。

本当に、本当に、疲れきりました。

この場を借りて、書き込んでくださった他の皆様にもお礼いたします。 
ありがとうございました。

タイトルRe^3: イスラームとの両立
記事No1719
投稿日: 2009/08/04(Tue) 13:48
投稿者kawthar
人間っていうのは、感性も理性も併せ持っている存在ですよね。
匿名さんは、アッラーの存在を心で感じることができないために、義務や、審判の日に評価されることを、負担に感じてしまうのかなぁ、と思います。

8世紀の、ラビアという女性の祈りを紹介させてください。とても好きなんです。

「おお神よ、もし私が地獄の恐怖からあなたを礼拝するのでしたら、私を地獄で焼いて下さい。
もし私が天国が欲しくてあなたを礼拝するのでしたら、私をそこから追放して下さい。
しかし、もし私があなたご自身のために礼拝するのでしたら、どうかあなたの永遠の美をお取り下げにならないで下さい。」

ラビアというのは、スーフィー(イスラム神秘主義・タサッウフの修行者)でした。ただアッラーへの愛のために生きた方です。

信仰には、いろいろな姿勢がありますね。
こちら↓のウェブサイトが、参考になるかも。お時間がありましたら、読んでみてください。
http://www.isuramu.com/sufizm/sufizm18.htm

アッラーを信じ、すべてを任せるときは、人がほんとうに自由に解き放たれる時であるそうです。しかし、それには、自分がもっているいろいろなこだわり(現世に対する執着も、天国に対する執着も含む)をすべて放棄しなくてはなりません。その境地にまで至れる人は、ほんのわずかなのでしょうね。

この道を極めることは、天国のために礼拝をして実際に天国へ入ることよりも大変なのかもしれません。けれども、そういった修行者の言葉や生き方を知ることで、信仰の豊かさを得られるのではないか、修行者でない一般のムスリムにとっても、大きな糧になるのではないかと私は思います。

タイトルRe^4: イスラームとの両立
記事No1720
投稿日: 2009/08/05(Wed) 02:41
投稿者ラスロマン
色々悩んでおられる様子ですね。共感します。
私は幸いうつ病とまではいきませんが、かなり悩んでいます。イスラム教徒であるということに疑問を感じながら生きています。
結婚の為回心しましたが、月日が流れるにつれ生活を普通に行っていくうえで疑問に感じられずにはいられない問題に直面する事がたまにあります。その時ふと考え込むのです。根っからのイスラム教徒ではないんだなぁと感じること。
私は今生きる意味や目的を捜し求める為に、もっと身近にある聖書を読んでいますよ。それでもいいのではないでしょうか。もっと気楽に考えてよいと思います。ああでなければならないとか考えなくても人生大丈夫だと、、、。私は思っています。神を信じていることそれは確かな事なのですから、きっと。
前向きに今の心境が少しでも前向きに進めるように、と願っています。勝手な事書いてすいません。

タイトルRe^3: イスラームとの両立
記事No1724
投稿日: 2009/08/06(Thu) 12:16
投稿者シンショーヴナ
今更ですが、ちょいと書かせていただきます。
(以前何度か送信しようとしたのですが、あまりにも長文になってしまい送信を諦めました)

> > 信じることは出来ますよね?頑張らなくても、、
>
> これが一番の悩みです。
> 私は信じていないのでは?と思うのです。

いつ頃からだか分かりませんが、いつも私は「自分を俯瞰して観察している自分」を感じます。自分で意見を言っている時に、「相手は私や私の意見に関してこう考えるだろうなぁ」と相手の意見を「先読み」してそれに対する意見まで(たとえ相手が実際にそう考えていなくとも)話している私がいます。

だから、匿名さんの「私は信じていないのでは?」というお気持ち、分かる気がします。
私も「実際は自分自身に『私は信じている』と暗示をかけているだけで、心の奥底では信じていないのでは?」と不安に感じることがあります。

「自分を俯瞰して観察する自分」がそう問いかけるんです。

凄く不安になります。そういう気持ちになった時は。
「自分では信じていると思っていたのに、審判の日に『お前は信者ではなかった』と宣告されたらどうしよう」と。

そういう時アッラーに祈ります。
「どうか私が真の信者でありますように、信者として死ねますように」と。

こう祈ることができるだけでも、少なくとも私はアッラーを信じているんだろうなぁ…と、やはり「俯瞰した自分」が観察しています(あぁ、何だろう私って)。

> でも、まだ信じられません。
> すくなくとも自分では信じているという実感を持てません。
> 哲学としては素晴らしい教えがたくさんありますが、宗教として心に響くものがないのです・・・。

匿名さんのお心を否定・非難しているわけではありません。でも…うまく書けませんが、もしかしたら匿名さんは「こうしなさい」「こうするべきです」という「純粋に実践面の勉強」がメインになっているのかもしれないなぁ、と思いました。

他の方が書かれていたかもしれませんが、ハディースで「アッラーはご自分の100のお慈悲のうちの1つでこの世をお創りになり、残りの99は来世の為にとってある(概要です、訂正宜しくお願いします)」というのがあります。
こんなに素晴らしい世界を作って人々の心に愛を注ぎ込んでもまだそれはアッラーのお慈悲の1パーセントを費やしただけで、残りの99が放出された時はどんな素晴らしいことになっているのだろう、と驚いてしまいます。

> 一体この先何年間「信じていること」にしてやっていけばいいのか・・・。
> こういう状態で崇拝行為をするのは大変で・・・。
>
> 一体、信仰とは理性でするものなのでしょうか、それとも感性でするものなのでしょうか・・・。

匿名さんはとても純粋な方なのだと思います。一生懸命向かっていこうとしている姿が感じられます。
これは素晴らしいことだと思います。
でも、少し力を抜いてもいいかなぁ、と感じます。
私が楽天家なだけかも知れませんが(汗)。

> それが「この世の頑張り次第で、死んでから《永遠に》評価され、それにみあったところで存在しなければならない」と知り愕然としました。
> それならば何を頼みにこの世をやり過ごせばいいのでしょうか・・・。

ハディースにあります。多分サハーバが預言者様に質問したことの答えとしてだったと思いますが…
「あなた方は、以前(改宗前)の善行によってムスリムになったのですよ(概要です、訂正宜しく)」

匿名さんはご自分を過小評価されているようですが、そんなことありません!!!!

それに「(この世の頑張りに)みあったところで存在しなければならない」とありましたが、それは逆です。

「あなたが一生懸命頑張ったことが全く損なわれることなく充分に評価されてあなたのその評価を反映したご褒美が頂ける」のです。

> 信じたくても信じられず、ちょっとしたことですぐ病気になり、根性もなく、頭も悪く、要領も悪く、性格も悪く、マイナス思考しかできない私が何を楽しみに人生を生きればいいのでしょうか。

私も要領が悪い「らしい」です、家族曰く。大卒ですが、知識は若干偏っています。頭のよさは学歴だけでは測れません。学歴が高くても一般常識を知らない人も沢山います。私はしつこい割にはどうでもいい、と感じたことはすぐに諦めるタイプ。周りの「おおまな」評価では私は「良い人」らしいですが、私の心の中を見たらみんながびっくりするぐらいドス黒いと思います。
…匿名さん。マイナス思考だからこそ自分を見つめることができるのかもしれませんよ。マイナス思考=ダメ、ではないと思います。

> アッラーのご慈悲で地獄行きをまぬかれたとしても、天国にも「レベル」があり自分の「人間的レベル」の低さゆえに最低レベルの天国にご慈悲で入れてもらった事にあまんじなければならない・・・。

天国では誰も不平不満を感じることはないそうです。確かに天国にはレベルがあるそうですが、「あぁ、私は低いレベルだ」とか「あぁ、あの人はいいなぁ、私よりもずっと上のレベルだ」などと感じることもない。皆幸せに過ごすのです。
それにアッラーにお慈悲をかけれらること(最終的にはお慈悲で天国に入ること)は決してマイナスではありません。むしろプラスなのです。アッラーがあなたを選んでくださるのですから。

ハディースにあります。「(天国に入る)人間は皆アッラーのお慈悲で天国に入るのです」。この言葉に続いて、アッラーから罪を赦され天国行きが決定している預言者ムハンマド様ですらアッラーのお慈悲なしには天国に行くことができない、と続きます。
つまり、どんなに徳を積んだ人でもアッラーのお慈悲なしには天国に行けないのです。


> 「徳の高い人々」が高いレベルの天国でアッラーの寵愛をいただいているその脇で「低い人間」として存在し続けなければならない・・・。

匿名さん。勿論「高いレベルの天国」に行く人の善行や心意気は素晴らしいものでしょうが、(比較上自分より)下のレベルの天国にいる者を「あいつは低いレベルにいる」などという人間は天国にいないでしょう。そんな驕った心意気の人間は既に天国に入る資格がないと思います(アッラーのみがご存知ですが)。

私自身、天国に入ることができるかどうかホンキで不安ですが、もし一番下のレベルの天国(比較上)に入ったとしても、皆仲良く幸せに過ごせるだろうなぁ、と思います。だって「天国では誰も不平を言わない」と書いてあるのですから。

> 低い人間として生きなければいけないのは現世でだけ、と思ってなんとか頑張ってきたのに・・・。

現世でも、一生懸命生きている人間は決して「低い人間」ではありません。匿名さんは一生懸命頑張っています!!!そのような人を「低い人間」だなんて言えません。そのような一生懸命な人を「低い人間」だと評価する人間のほうが低いんだと思います。

「自信を持って!!!!」なんて軽い言葉は言えませんが、とにかく匿名さん、あなたは低い人間なんかぢゃないですよ!!!

> 私は何をどうしたらいいのでしょうか。

あなたと比べたらかなりテキトーに生きている私が偉い事を言う筋合いはないのですが(あぁ、私も頑張らねば…)、ある方が言っていました。

「どれだけ難しい勉強をすればいいのか、という問題ではありません。日々の生活でアッラーを感じ感謝することが大切です」

暑い夏に冷たい水を飲んで「あぁ、美味しい。こんな美味しい水で私の渇きを潤してくださったアッラーに感謝します」と感謝する。1日一日を一生懸命生きて「あぁ、今日も一日が終わる。生かせてくださったアッラーに感謝します」と感謝する。
アッラーはそんな(一般的に見たら)些細な日常の一つ一つに感謝する人間を決してお見捨てにはなりません。

> saphiaさん、おっしゃるとおり人間のうち誰一人私のことをわかってくれる人はいないでしょう。

これ、私は落ち込んでいた娘に言われました。
「ママに私の気持ち分かるわけないよ!!」

確かに他人の気持ちは100%そっくりそのまま分かるわけないと思います。だって「私」=「あなた」ではないのだから。でもそれはあなたが他人に理解されない、ということでは決してありません。「あなた」=「私」には決してなりえないだけの話。あなたを理解しようとする人、理解したいと思っている人は沢山いるはずです!!!
…私もそんな人達の1人です。

> きっとこんな事を書いて人々を不快にさせ、さらに罪が増えているのでしょう。

不快に思う人はいないんぢゃないかなぁ…むしろ「あぁ、匿名さんの力になりたい!!!」と皆さん思っているのでは?


> 頑張れ、頑張れ、と言われ続けた10年。
> 本当に、本当に、疲れきりました。

うつの人に「頑張れ」はきついんですよね…
もしできることなら、少し力を抜いてみてください…

タイトルRe^4: イスラームとの両立
記事No1860
投稿日: 2009/08/19(Wed) 15:47
投稿者匿名
いまさらですが、ありがとうございます。

少し調子が悪くてパソコンに向かうことができませんでした。

私はアッラーの存在を信じる事ができなくて、「ムスリムらしく振舞って、勉強を続ければいつか信じられる日が来るだろう」と思い生きてきましたが、最近、おかしくなり、イスラーム=地獄 のようになってしまいました。

私は、いままで頑張りましたが、やはりアッラーを信じることができません。
なのでアザーンも、クルアーンもすべて地獄からの声に感じてしまいます。

「おいそこのおまえ、信じてないな! イバーダしてないな! こんなに素晴らしいアッラーを信じていないな! おまえは地獄行きだ!!」

と、こう聞こえるのです。

無理して無理してがんばってハラムを避けていると

「イスラムではこれは禁止だ! あれも禁止だ! お前がしたいと思ってる事は全部禁止なんだ!」

と言う声が聞こえてくるんです。

苦しくて苦しくてたまりません。
夫やそのほかの素敵なムスリムの方々を見ていると「きっとイスラームは正しいのだろう。 私も信じたい」と心底思うのです。
でも、自分の心は「アッラーが存在すると思えない」のです。 「アッラーが存在しない」とも断言することはできませんが「アッラーが存在する」と断言することもできないのです。

心のそこから、なんの疑いもなく、当然のように信仰する。
どうしたらできるようになるのでしょう。

アッラーが存在すると思えない状態で、色々していると「ニーヤがすごく間違ってる」ので、決して救われる事はなく、ただ苦しいだけで自分のイスラーム感がどんどん歪んでいきます。

私は心を素直にしているつもりです。
イスラームの教えにも肯定的に臨むようにし、(アッラーの存在を確信できないので、形だけですが)イマーンを与えてください。といつもドゥアーしています。

どんなにどんなに頑張っても、願ってもアッラーが望まなければムスリムにはなれないのですよね。

では、私をムスリムにすることを望んでいないのはアッラー?!!
で、私は地獄行き?!

そんなのって、受け入れられません。

もう、苦しくて苦しくて、毎日存在するのが辛いです。

怖い夫や厳しい上司なら、目を盗む事もできますが、アッラーはすべてお見通し、なんですよね。

私が信じていなくて、苦しくてイバーダもやれてないし、トライすることもできなくなってる。ということ、常に見張られているのですよね。
逃げ場がありません。

どうやったらアッラーの存在を信じて、クルアーンやハディースを信じられるのでしょうか。

信じるって一体なんなのですか?

タイトルRe^5: イスラームとの両立
記事No1877
投稿日: 2009/08/20(Thu) 14:52
投稿者aisha
アッサラーム アライクム

アッラーは私達が耐えられない程の苦難は与えられないそうです。
なので、匿名さんはとても強い方なんだろうなぁと思いました。

アッラーの存在が信じられないのなら、創造主無しにこの世界は
どう始まったんだろう?って考えてみるのはどうですか?
偶然、自然にですか?

ある本で読んだのですが、
適当な原子や分子がたった1個の単純な蛋白質分子を形成する場所に落ちる確率は10の113乗(1の後に0を113個)分の1だそうです。
数学者は10の50乗分の1以下の確率で起きるとされる事柄は
決して起きない事柄として片付けるそうです。
ただ1つの細胞が活動を維持するのに、およそ2,000個の
異なった蛋白質分子が必要で、その全てが無作為に生ずる見込みは
10の40,000乗分の1になるそうです。

たった1つの細胞でこの数字です。
そうなると、この世界はどうでしょう?
凄いですよね。
私は、自然に出来上がったんじゃないんだぁって思いました。
偶然にしてはうまく出来すぎてるんだぁと。

アッラーは私達にその存在が分かるように、よく観察しなさいって言ってますよね。
アッラーの印があるからって。
私達の身体の機能も、本当によく出来てますよね。


でも匿名さんが地獄を信じて畏れているなら、既にアッラーも信じているような感じがしますけど。
アッラーを畏れる事はムスリムのあるべき姿ですよね。
慈愛あまねく慈悲深きアッラーですから、私はよくそちらに
甘えてしまいますが・・・。

匿名さんに平安とアッラーの慈悲と祝福がありますように。













> いまさらですが、ありがとうございます。
>
> 少し調子が悪くてパソコンに向かうことができませんでした。
>
> 私はアッラーの存在を信じる事ができなくて、「ムスリムらしく振舞って、勉強を続ければいつか信じられる日が来るだろう」と思い生きてきましたが、最近、おかしくなり、イスラーム=地獄 のようになってしまいました。
>
> 私は、いままで頑張りましたが、やはりアッラーを信じることができません。
> なのでアザーンも、クルアーンもすべて地獄からの声に感じてしまいます。
>
> 「おいそこのおまえ、信じてないな! イバーダしてないな! こんなに素晴らしいアッラーを信じていないな! おまえは地獄行きだ!!」
>
> と、こう聞こえるのです。
>
> 無理して無理してがんばってハラムを避けていると
>
> 「イスラムではこれは禁止だ! あれも禁止だ! お前がしたいと思ってる事は全部禁止なんだ!」
>
> と言う声が聞こえてくるんです。
>
> 苦しくて苦しくてたまりません。
> 夫やそのほかの素敵なムスリムの方々を見ていると「きっとイスラームは正しいのだろう。 私も信じたい」と心底思うのです。
> でも、自分の心は「アッラーが存在すると思えない」のです。 「アッラーが存在しない」とも断言することはできませんが「アッラーが存在する」と断言することもできないのです。
>
> 心のそこから、なんの疑いもなく、当然のように信仰する。
> どうしたらできるようになるのでしょう。
>
> アッラーが存在すると思えない状態で、色々していると「ニーヤがすごく間違ってる」ので、決して救われる事はなく、ただ苦しいだけで自分のイスラーム感がどんどん歪んでいきます。
>
> 私は心を素直にしているつもりです。
> イスラームの教えにも肯定的に臨むようにし、(アッラーの存在を確信できないので、形だけですが)イマーンを与えてください。といつもドゥアーしています。
>
> どんなにどんなに頑張っても、願ってもアッラーが望まなければムスリムにはなれないのですよね。
>
> では、私をムスリムにすることを望んでいないのはアッラー?!!
> で、私は地獄行き?!
>
> そんなのって、受け入れられません。
>
> もう、苦しくて苦しくて、毎日存在するのが辛いです。
>
> 怖い夫や厳しい上司なら、目を盗む事もできますが、アッラーはすべてお見通し、なんですよね。
>
> 私が信じていなくて、苦しくてイバーダもやれてないし、トライすることもできなくなってる。ということ、常に見張られているのですよね。
> 逃げ場がありません。
>
> どうやったらアッラーの存在を信じて、クルアーンやハディースを信じられるのでしょうか。
>
> 信じるって一体なんなのですか?

タイトルRe^6: イスラームとの両立
記事No1881
投稿日: 2009/08/20(Thu) 21:13
投稿者匿名
返事ありがとうございます。

この10年以上の間、ありとあらゆる情報を読みました。

自然現象のこと、などなど「アッラーの存在の証明」みたいな話題はたくさんありますね。

頭では「そうなのかも知れないなあ。」と思います。
でも、心は動かないのです。

自分が何かをどう感じるか。というのは自分でコントロールできませんよね。
それは自分の力を超えたところにあるものです。
信じる。ということは自分で自分に強制することができないものではないかと思うようになりました。

信じようとして信じるのではなくて、心が自然に信じる。のではないでしょうか。

10年以上にわたって、毎日「これを信じなければいけないんだ!」と言い聞かせて、それこそ胃に穴の空くほど、吐き気がするほど頑張ってきた結果です。

地獄を確信しているわけではありません。
私は、仮にイスラームが真理であるならば、きっとアッラーはわたしを地獄に入れるだろう。と思っているのです。

でも、それは私がイスラームを真理だと思っていないから、なのです。
一見パラドックスみたいですが、おわかりいただけるでしょうか・・・。

私が信じようと信じまいと、イスラームが真理ならば当然その法律は有効で、アッラーはその決まりにしたがって不信者を地獄にお入れになるでしょう。

私はイスラームは嘘っぱちだ。と思えません。
と、同時にイスラームは真理だ。とも思えないのです。

だからこそ、こんなに苦しいのです。

タイトルRe^7: イスラームとの両立
記事No1884
投稿日: 2009/08/21(Fri) 14:21
投稿者MI
アッサラームアライクム

私も書き込みの後ものすごく調子が悪くなってしまい、礼拝もたびたび座ってしかできなくなりました。
書き込みに、誰からの、どんな反応があるんだろう、それがいいものでも悪いものでも、反応がなかったとしても、もう掲示板は見られない(精神が耐えられない)と思っていました。
パソコンはつけたくなくなるし、でもラマダーンが近いから新月確認情報は見なくちゃ…と。
今はまた大丈夫になってしまって、辛いときのことをけっこう忘れています。
なので、無神経なことを書いていたらごめんなさい。
で、また見られなくなってしまうかもしれませんけど…。

匿名さんは、「信じていないのでは?と思う」と書いておられたのに、すぐ後にご自分を信じていない事にされています。
疑いだったのが確信になっているみたいですが、自分では信じている実感がなくても、信じてないことにはならないと思います。
その後の書き込みでは、なんだか信じてないことになってるみたいですが、そんなに白黒はっきりさせなくてもいいのでは。


私は自分の過去の多くの行いに罪悪感があったので「自分は死んだら地獄に行くのでは」と思って宗教に興味を持ったように思いますし、ムスリムになってからも地獄で自分を脅している感じです。
↓に反することを自分にしているような。
http://islam.web.infoseek.co.jp/abu/halal1.htmより
><アッラーの使徒は教友の一人を彼の代理人として派遣するときにはその教友に次のようにいったものでした。
>アッラーの福音だけを人々に伝えなさい。決して人々に宗教に対する反感を抱かしてはならない。人には寛仁をもって接し、決して無理なことを押しつけてはならない。・・・
>人には寛仁をもって接し、決して無理なことを押しつけてはならない。人には慰安を与え、決して宗教に対して反感を抱かせてはならない。>(「サヒーフ ムスリム」第2巻、774頁)


ちなみに、アッラーが存在すると思えない理由って何なのか教えてもらえますか?
イスラームを真理と思えないという理由も知りたいです。どうしてそう思っていると思っているのかよく分からなかったので。
私はアッラーは存在すると思っていますが、地獄に落ちるのでは、とよく思います。
希望はかなり薄いものです。もしかしたらもう希望は無いのかもしれないです。
でも、自分で善行と悪行を量れるわけではないし、それができるのは(わかるのは)アッラーだけなのでアッラーの慈悲に絶望しないように…と思っています。
(ちょっと無理やり文章にしたので普段思っていることと違うかもしれませんけど)

あと、自然現象のこととか、そうなのかも知れないなあ、と思うなら心が動かないと思っても、今はそこまでの理解で良しとしてもいいのではないでしょうか?
病気のせいで心の動く余裕が無いのかもしれませんし。
なんとなく、自分に厳しすぎる感じがするのですが(匿名さんはそうは思われないでしょうが)。

信じるということについて、たぶん本で読んだと思うのですが、それをもとに。
自分に見えないことや、自分では事実かどうか確認できないことについてを「信じる」といい、
自分で見ることができたり、実験したり体験できること、事実についてを「知っている」という。
「信じる」は「そうだろうと思う」という推測で、「知っている」は「そうなんだ」という確信なのかな。
宗教ということで特別視しなくても、ふだんの他のことに置き換えてみるといいんじゃないかと思いましたが、ちょっと例えが浮かびませんでした。


(書き込み修正しました)

タイトルRe^8: イスラームとの両立
記事No1885
投稿日: 2009/08/21(Fri) 16:58
投稿者匿名
返事ありがとうございます。

初めは人にこんなこと言えない。と思ってちょっと遠慮しながら信じてないように思う。と書きました。

でも、本当の気持ちを書かないと。と思い、信じていない。に変わりました。

アッラーの存在を信じているか否かは、はっきりしているべきだと思ってしまいます。

信じているか、いないか、しかありえないと思うのです。

私は自分に厳しいのではありません。 むしろ甘すぎると思います。

厳しいのはアッラーなのです。

私がどんなに苦しみ努力していても「アッラーを信じていない」のなら地獄行きです。

いろいろなところで、時々「私も地獄に行くかも」のような発言をみかけますが、地獄の恐ろしさをじっくり考えられたことありますでしょうか?

ものすごいところのようですよね。
もう、この世のすべての苦しみをあわせても全然かなわないような、ものすごく凄惨な苦しみを味わわせる所です。

そんなところへ人間をいれてしまうのがアッラーです。

「我を信じなければ地獄へ入れる!」と言っているのがアッラーです。

今日、焼身自殺した中学生のニュースが出ていますが、ご覧になりましたか?
彼は生きている間にどんな体験をして、焼身自殺に至ったのでしょうか?

イスラームでは「自殺した者は永遠に地獄からでられない」のです。
彼が生きていたときや、死んだときの苦しみなど、なんでもなかったと思うような本当の地獄が永遠に彼を待っています。
これがイスラームの真実ですよね。

ムスリム以外は天国には入れないはずですから、日本人の大半は地獄行きです。

繰り返しになりますが地獄は物凄いところです。
そこへ人間をいれてしまうのがアッラーです。

私がアッラーを信じられなくて苦しんでも、日本人がイスラームと触れ合う機会が少なくても、それはすべてアッラーが望まれた事。
そして、アッラーを信じなければ永遠の地獄が待っているのです。

地獄の存在が、私をイスラームから遠ざけます。
どうかんがえても自分が創った人間を1人でも地獄に入れるなんて、私には受け入れられないのです。

この世にはものすごく悪いことをした人間もいます。
でも、神ならばそういう人の魂をこそ救って欲しいと思ってしまうのです。
悪人は決して幸せな人生を送ってはいないでしょう。 精神が正常ではなかった人なのだと思うのです。

この世ではありえない「やったほうもやられたほうも幸せで何の問題もない世界」を成立させてほしい。

地獄があることが前提でなりたっている天国が私にはうけいれられないのです。
真剣に自分が地獄に行く事が決定していると仮定して考えてください。
地獄に行く事が決定している人は実際にいます。
自殺した人、多神教徒のまま死んだ人。
その人たちの事を考えると、クルアーンを信じる事ができなくなります。



でも、きっとイスラームは正しいのでしょう。
私に理解できないからと言って、イスラームが真実でない。などとはとても言えません。

イスラームを信じる。ということは決して推測ではいけないと思います。
アッラーとその使徒、その他、天使などを確信を持って信じていなければ、その目で見たように信じていなければそれは信じているとは言えないと思います。

私はどうしてもそれができない。

アッラーはとても寛容ですが、「アッラーを信じているかどうか」の一点については非常に厳しい。

タイトルRe^9: イスラームとの両立
記事No1891
投稿日: 2009/08/23(Sun) 10:20
投稿者kawthar
アッサラームアライクム、ラマダーン・カリーム!

匿名さんは、そんなにもまざまざと地獄の恐ろしさについて感じておられ、そこへ人を入れるのがアッラーであるということを、知っておられるのですから、そういう面ではきちんとアッラーを信じていらっしゃるんですね。
「心からアッラーを信じていて、幸せだ」と迷いなく言える人でも、地獄についてそこまで深く感じている人は、稀です。それは、匿名さんの信仰の深さを示しているとも思えます。

匿名さんは、信じておられるんですよ、すでに。
私にはそう写ります。

ただ、マイナスな面でしかそれを受け入れられないところがあって、それは病気が原因なんじゃないかと私は思います。

ムスリム以外の人への救済については、いろんな考え方があるのをご存知でしょうか。「自殺したものが永遠に地獄から出られない」というのも、あくまでも原則であって、例外なく確実に、ということではありません。「日本人はイスラームについて知らないので、知らずに犯した罪の責任は問われない。よって、日本人の大半は天国へ入る」というイスラーム法学者もおられるんです。留学して法学について学を修めた、著名な方ですよ。

でも、問題は、そんな理屈や法学の判断ではなく、匿名さんがゆっくりと静養され、鬱を治すことで解決されるのではないかと思います。

よいラマダーンをお過ごしください。祝福がありますように。
お祈りいたします。





> 返事ありがとうございます。
>
> 初めは人にこんなこと言えない。と思ってちょっと遠慮しながら信じてないように思う。と書きました。
>
> でも、本当の気持ちを書かないと。と思い、信じていない。に変わりました。
>
> アッラーの存在を信じているか否かは、はっきりしているべきだと思ってしまいます。
>
> 信じているか、いないか、しかありえないと思うのです。
>
> 私は自分に厳しいのではありません。 むしろ甘すぎると思います。
>
> 厳しいのはアッラーなのです。
>
> 私がどんなに苦しみ努力していても「アッラーを信じていない」のなら地獄行きです。
>
> いろいろなところで、時々「私も地獄に行くかも」のような発言をみかけますが、地獄の恐ろしさをじっくり考えられたことありますでしょうか?
>
> ものすごいところのようですよね。
> もう、この世のすべての苦しみをあわせても全然かなわないような、ものすごく凄惨な苦しみを味わわせる所です。
>
> そんなところへ人間をいれてしまうのがアッラーです。
>
> 「我を信じなければ地獄へ入れる!」と言っているのがアッラーです。
>
> 今日、焼身自殺した中学生のニュースが出ていますが、ご覧になりましたか?
> 彼は生きている間にどんな体験をして、焼身自殺に至ったのでしょうか?
>
> イスラームでは「自殺した者は永遠に地獄からでられない」のです。
> 彼が生きていたときや、死んだときの苦しみなど、なんでもなかったと思うような本当の地獄が永遠に彼を待っています。
> これがイスラームの真実ですよね。
>
> ムスリム以外は天国には入れないはずですから、日本人の大半は地獄行きです。
>
> 繰り返しになりますが地獄は物凄いところです。
> そこへ人間をいれてしまうのがアッラーです。
>
> 私がアッラーを信じられなくて苦しんでも、日本人がイスラームと触れ合う機会が少なくても、それはすべてアッラーが望まれた事。
> そして、アッラーを信じなければ永遠の地獄が待っているのです。
>
> 地獄の存在が、私をイスラームから遠ざけます。
> どうかんがえても自分が創った人間を1人でも地獄に入れるなんて、私には受け入れられないのです。
>
> この世にはものすごく悪いことをした人間もいます。
> でも、神ならばそういう人の魂をこそ救って欲しいと思ってしまうのです。
> 悪人は決して幸せな人生を送ってはいないでしょう。 精神が正常ではなかった人なのだと思うのです。
>
> この世ではありえない「やったほうもやられたほうも幸せで何の問題もない世界」を成立させてほしい。
>
> 地獄があることが前提でなりたっている天国が私にはうけいれられないのです。
> 真剣に自分が地獄に行く事が決定していると仮定して考えてください。
> 地獄に行く事が決定している人は実際にいます。
> 自殺した人、多神教徒のまま死んだ人。
> その人たちの事を考えると、クルアーンを信じる事ができなくなります。
>
>
>
> でも、きっとイスラームは正しいのでしょう。
> 私に理解できないからと言って、イスラームが真実でない。などとはとても言えません。
>
> イスラームを信じる。ということは決して推測ではいけないと思います。
> アッラーとその使徒、その他、天使などを確信を持って信じていなければ、その目で見たように信じていなければそれは信じているとは言えないと思います。
>
> 私はどうしてもそれができない。
>
> アッラーはとても寛容ですが、「アッラーを信じているかどうか」の一点については非常に厳しい。

タイトルRe^10: イスラームとの両立
記事No1894
投稿日: 2009/08/23(Sun) 16:36
投稿者匿名
私などのために時間を使って返信いただきありがとうございます。

>日本人はイスラームについて知らないので、知らずに犯した罪の責任は問われない。よって、日本人の大半は天国へ入る」

私も一時はそういう答えに達したことがありました。
しかし、「すると地獄に入るのはよく勉強したムスリム?!」ということになってしまいます。
勉強し、やらなければならないことをたくさん知ってしまったムスリムの方が地獄に入る確率が高くなってしまいますよね。
それに、この論が正しいのなら、私は日本人にイスラームの勉強を勧めるのを躊躇してしまいます。
知識だけ増えてそれを実践しなかったら、私のせいで彼は地獄行きですよね・・・。

> でも、問題は、そんな理屈や法学の判断ではなく、匿名さんがゆっくりと静養され、鬱を治すことで解決されるのではないかと思います。

もしかしたらそうなのかもしれませんね・・・。
鬱については、元々マイナス思考なので鬱になってしまうのでなかなかむづかしいところではありますが・・・。
私にはまだ時間があるかもしれません。
死が近づくまでに、いつか信じていると思える日が来るかもしれません。
だから、「アッラーはいるかもしれない」という気持ちだけは消さないように気をつけて行きたいと思っています。

タイトルRe^10: イスラームとの両立
記事No1904
投稿日: 2009/08/24(Mon) 20:50
投稿者匿名
> アッサラームアライクム、ラマダーン・カリーム!
>
> 匿名さんは、そんなにもまざまざと地獄の恐ろしさについて感じておられ、そこへ人を入れるのがアッラーであるということを、知っておられるのですから、そういう面ではきちんとアッラーを信じていらっしゃるんですね。
> 「心からアッラーを信じていて、幸せだ」と迷いなく言える人でも、地獄についてそこまで深く感じている人は、稀です。それは、匿名さんの信仰の深さを示しているとも思えます。
>
> 匿名さんは、信じておられるんですよ、すでに。
> 私にはそう写ります。

度々の返信ありがとうございます。
私は地獄やアッラーの存在を確信しているわけではありません。
仮に、イスラームが真理ならばこうであろう。と思っているだけなんです。

私はイスラーム信者というよりは、イスラームの理解者、親イスラム者なのだと思います。

地獄については、本当に悩みます。

「悪い者は制裁を受けて当然」という考えについていけないのです。
不完全なこの現世では人にされたことをすべて許し、相手の幸せを願うなどということができる人間は稀でしょう。 いないかもしれません。

しかし、完全完璧な来世というものが存在するなら、全知全能の神がいるなら、その世界では悪人をも許し、その幸せまでも願うような、真の兄弟愛、人類愛、本当の愛、というものがあって欲しいのです。

それがだめならば、せめて地獄は存在して欲しくないのです。
どんなに悪い人間でもあんなにむごい所へ、場合によっては永遠に入れられるなんて、どうしても理解できません。

どんなにできの悪いひどい子供を持った母親でも、自分の子供を永遠に地獄に入れる。なんて人はいないでしょう。
それが特に、人間として立派な母親であればなおのことです。
「子供が最終的に地獄行きにならないために」子供が間違えたときに、罰を与える事は母親として正しいと思います。
しかし、「正しい行いをしてこなかった」その制裁として我が子を永遠に地獄に入れてすましている母親にはとても同情できません。

アッラーは私達人間よりも1000倍以上も人間を愛しているといいます。
それでも、「言う事を聞かなかった」人間は容赦なく地獄に入れるんですよね。

人間が現世で悪いことをしないように脅しとして「地獄にいれるぞ!」と言っているだけならいいですが、アッラーは絶対に嘘などつくような存在ではありませんから、入れると言ったら入れるのです。

私には理解できないんです。

悪いやつは地獄で焼かれて当然。なんて、とても思えないんです。
ものすごく冷たく感じてしまうんです。

そんな私は決してイスラーム教徒ではないんだと思います。

私がこんなに地獄に固執してしまうのは長年に渡って「言う事をきかない」「人を人とも思わない」私の態度に対して「制裁」を加えてきた人物の影響があると思います。
やりたくてもできない、やる気を出したくても出せない、信じたくても信じられない、私に対し「当然の報い」を与えられてきました。
人間の制裁には限度があるでしょう。 人間は不完全ですから人を完璧に裁くことはできません。

しかし、全知全能の存在が、人間を1人として地獄に入れるはずがないと思えて仕方ありません。

元の話題に戻りますが、こんな気持ちで
「ムスリマであり続けなければならない」
「アッラーを信じなければならない」
と自分で自分を責め、苦しみながら、どうやって鬱とつきあえばいいのでしょうか。

私が今すべきことはなんなのでしょうか?
非ムスリムの医者がいうことを鵜呑みにすることもできず、また彼も「イスラームから遠ざかりなさい」のようなことは言うべきではないと考えています。
医者として、自分の理解を超えている宗教の事に指図すべきではないと考えています。

でも私は自分でどうしたらいいのかわからないんです。

タイトルRe^11: イスラームとの両立
記事No1906
投稿日: 2009/08/25(Tue) 11:07
投稿者kawthar
まず、誤解があるようですが、私の投稿(No.1891)に対するお返事はNo.1894ですでにいただいています。追加のレスをいただいたと受け止めて、返信を書きますね。


罪に対する制裁が匿名さんに対して負担となるということであれば、日本やその他の外国を含めた現世のすべての法制度が、匿名さんの鬱の治療に対する障害として機能してしまうことになってしまいます。
問題の根本は、罰の存在ではなく、匿名さんの心の中に植えつけられてしまった強迫観念ではないかと私は思うんです。

また、

>しかし、全知全能の存在が、人間を1人として地獄に入れるはずがないと思えて仕方ありません。

と、ありましたが、別のレスで「悪人は決して幸せな人生を送ってはいないでしょう。 精神が正常ではなかった人なのだと思うのです。」と、匿名さんは書いておられますよね。精神が正常でなかった人ならば、イスラームでは無罪ですよ。ですから、この法則に従うならば、誰一人として地獄に入る人はいないでしょう。匿名さんの素朴な想いと、イスラームとは必ずしも対立していないんです。


欝を治すにあたって、イスラームの教えを云々するよりは、匿名さんに「制裁」を加えてきたという方との関係を正常化すること、あるいは、その方と距離を置いて心が安らげる環境を作ることが大切になるんじゃないかなぁ、と私は思います。

入信して10年目くらいで、「自分はほんとうに心から信じているのか」とか、また結婚時改宗の方だと「夫が喜ぶことを一生懸命してきただけではないのか」と、自分の信仰と向き合って悩む方はけっこうおられます。
匿名さんだけが特別ということではないので、あまり思いつめず、答えを性急に探さず、アッラーの導きをゆったりと待つような気持ちで、心を休めてみてはいかがでしょう?


余談ですが、匿名さんが信仰について苦しんでおられるのを読んで、私は、ガザーリーのことを、思い出しました。
ガザーリーは11世紀の、当代最高のイスラーム法学者でありながら、突如、信仰の確信を得られなくなり、精神の危機におちいり、地位や名誉、全てを捨てて放浪と修行の旅に出た人です。
彼の著作に「誤りから救うもの」というのがあります。
これ↓です。
http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%A4%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E6%95%91%E3%81%86%E3%82%82%E3%81%AE%E2%80%95%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%AC%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4480087796

私は、ガザーリーについて、大雑把なことを知っているだけで、この本をまだ読んでいません。いつか読もうと思いながら、そのままになっていて。
だから、前のNo.1891の投稿で、この本を紹介しようかどうか迷い、結局やめてしまったんです。鬱の状態にある方に勧める本として適切かどうか、判断できなかったし、やめておいたほうがいいかなと、思って。でも、なにかの縁と思って、アドを貼ることにします。もし、興味がおありだったら、お読みになってみるのもいいかもしれません。
ですが、読んでつらくなるようでしたら、ご自分の心の静養を最優先にして、本の内容は放棄してくださいね。匿名さんにとって、なにか得るものがあればよいのですが・・・・。


平安がありますように。



> > アッサラームアライクム、ラマダーン・カリーム!
> >
> > 匿名さんは、そんなにもまざまざと地獄の恐ろしさについて感じておられ、そこへ人を入れるのがアッラーであるということを、知っておられるのですから、そういう面ではきちんとアッラーを信じていらっしゃるんですね。
> > 「心からアッラーを信じていて、幸せだ」と迷いなく言える人でも、地獄についてそこまで深く感じている人は、稀です。それは、匿名さんの信仰の深さを示しているとも思えます。
> >
> > 匿名さんは、信じておられるんですよ、すでに。
> > 私にはそう写ります。
>
> 度々の返信ありがとうございます。
> 私は地獄やアッラーの存在を確信しているわけではありません。
> 仮に、イスラームが真理ならばこうであろう。と思っているだけなんです。
>
> 私はイスラーム信者というよりは、イスラームの理解者、親イスラム者なのだと思います。
>
> 地獄については、本当に悩みます。
>
> 「悪い者は制裁を受けて当然」という考えについていけないのです。
> 不完全なこの現世では人にされたことをすべて許し、相手の幸せを願うなどということができる人間は稀でしょう。 いないかもしれません。
>
> しかし、完全完璧な来世というものが存在するなら、全知全能の神がいるなら、その世界では悪人をも許し、その幸せまでも願うような、真の兄弟愛、人類愛、本当の愛、というものがあって欲しいのです。
>
> それがだめならば、せめて地獄は存在して欲しくないのです。
> どんなに悪い人間でもあんなにむごい所へ、場合によっては永遠に入れられるなんて、どうしても理解できません。
>
> どんなにできの悪いひどい子供を持った母親でも、自分の子供を永遠に地獄に入れる。なんて人はいないでしょう。
> それが特に、人間として立派な母親であればなおのことです。
> 「子供が最終的に地獄行きにならないために」子供が間違えたときに、罰を与える事は母親として正しいと思います。
> しかし、「正しい行いをしてこなかった」その制裁として我が子を永遠に地獄に入れてすましている母親にはとても同情できません。
>
> アッラーは私達人間よりも1000倍以上も人間を愛しているといいます。
> それでも、「言う事を聞かなかった」人間は容赦なく地獄に入れるんですよね。
>
> 人間が現世で悪いことをしないように脅しとして「地獄にいれるぞ!」と言っているだけならいいですが、アッラーは絶対に嘘などつくような存在ではありませんから、入れると言ったら入れるのです。
>
> 私には理解できないんです。
>
> 悪いやつは地獄で焼かれて当然。なんて、とても思えないんです。
> ものすごく冷たく感じてしまうんです。
>
> そんな私は決してイスラーム教徒ではないんだと思います。
>
> 私がこんなに地獄に固執してしまうのは長年に渡って「言う事をきかない」「人を人とも思わない」私の態度に対して「制裁」を加えてきた人物の影響があると思います。
> やりたくてもできない、やる気を出したくても出せない、信じたくても信じられない、私に対し「当然の報い」を与えられてきました。
> 人間の制裁には限度があるでしょう。 人間は不完全ですから人を完璧に裁くことはできません。
>
> しかし、全知全能の存在が、人間を1人として地獄に入れるはずがないと思えて仕方ありません。
>
> 元の話題に戻りますが、こんな気持ちで
> 「ムスリマであり続けなければならない」
> 「アッラーを信じなければならない」
> と自分で自分を責め、苦しみながら、どうやって鬱とつきあえばいいのでしょうか。
>
> 私が今すべきことはなんなのでしょうか?
> 非ムスリムの医者がいうことを鵜呑みにすることもできず、また彼も「イスラームから遠ざかりなさい」のようなことは言うべきではないと考えています。
> 医者として、自分の理解を超えている宗教の事に指図すべきではないと考えています。
>
> でも私は自分でどうしたらいいのかわからないんです。

タイトルRe^12: イスラームとの両立
記事No1909
投稿日: 2009/08/25(Tue) 16:22
投稿者匿名
何度もありがとうございます。

実は1898のMIさんのレスを一読して、激しい身体症状がでてしまい、直接そこへお返事することができなくなってしまいました。
そこでkawtharさんのところへ書き込ませていただいたしだいです。

> 罪に対する制裁が匿名さんに対して負担となるということであれば、日本やその他の外国を含めた現世のすべての法制度が、匿名さんの鬱の治療に対する障害として機能してしまうことになってしまいます。

現世で人間が人間を裁き、罰するというのになんの呵責も感じません。
人間はそうしないと不平不満をいだきとても不公平な世の中になってしまいます。
現世は不完全な人間が住まうところですから、報復や罪に対する罰などが存在するのは当然と思います。

私が受け入れられないのは「完全無欠」であるはずの来世で報復が続くという点なんです。
全知全能の神ならば「誰一人として苦しむ者のない完全に平安な理想郷」を実現できるはずです。
そして私にいわせればそうでなければなりません。
みんながみんなを許し、愛し合う「悪者」の存在しない世界です。

ガザーリをご紹介くださってありがとございます。
名前は知っていますが、詳しい事はあまり知りませんので、自分の状態がよくなったら必ず目を通して見ます。

ただ、私が特別なわけではない、という言葉には救われました。
10年なんてまだまだなんですね、きっと。
私がまわりの方から見たら固い信仰を持っているように見えるのと同じで、私が勝手に皆さん全員が揺らぎない信仰を持っているんだろうと決め付けていたんですね。

いろいろな人がいて、それぞれに悩みながらやっているんですね。

この前も書きましたが、私は今のところ死んでいないので、まだ望みはありますね。

私の今の本心はイスラームをすこし休憩したいです。
ラマダンなのですが・・・。
イスラームを忘れて、というかすべてを忘れて少し静かに過ごしたいです。
でもそれって大丈夫なのかどうか・・・。

薬のせいで頭がリラックスしすぎていてうまく書けなかったのですが「制裁」の人とはすでに解決済みです。
ただ、怒り、仕返し、報復、攻撃、清算、相手とイーブンになる、などの事柄が人間的で、その中でも低俗な物だと感じるようになりました。
だからアッラーにそういう属性があることがイヤだと感じるようになったのだと思います。
あいかわらずうまく書けません。

とにかく今は辛くて辛くてたまらないので・・・。

何度も何度もお返事いただいてありがとうございました。
私のために叱り付けることなく親切に教えてくださったこと感謝しています。

タイトルRe^13: イスラームとの両立
記事No1951
投稿日: 2009/09/06(Sun) 18:27
投稿者MI
こんにちは。
返事がとても遅くなってしまいすみません。


匿名さんは、地獄やアッラーの存在を確信しているわけではないのですか…。
でも、ご自身でもおっしゃっているとおりですね。望みはありますよ。

http://islamcenter.or.jp/jpn/shahadaj.htm
こちらはイスラミックセンターの「シャハーダ」のページですが、そこに
>ムスリムはこのカリマの意味することに確信をもつことが大切です。しかし、これをただむやみに信じ込もうとしたり、理性だけで理解しようとするのは正しくありません。
とあります。また、
>アッラーは信仰の強制を禁じています。ですからシャハーダはいかなる圧力からも自由な状態で、自らの意志で行なわれなければなりません。
とあります。匿名さんが信者であるかどうか、他の人にどう見えたとしても、実際のところは人間にはわかりませんが、
もしまだ信じていないのであれば、ムスリムにとっての義務は課せられないのではないかと思います(違ってたらごめんなさい)。


ところで、”完全完璧な来世”、”「完全無欠」であるはずの来世”って何のことなのでしょうか?
地獄のことはクルアーンにもはっきり書いてあることですよね。

神は母親ではなく、それ以上に愛情深い方であり、そして人間は人間を地獄に入れる権力など持っていません。

匿名さんの考える来世では、現世で罪を犯したのに、捕まらなかったり嘘の証言をしたり、
また賄賂を使ったりして逃れ、罰を受けなかった人についてはどうなるのですか?
現世では上に挙げたような悪いことをして、罰を逃れても来世で無条件に赦されるなら、よい事をする人は居なくなるのではないですか?


>「言う事を聞かなかった」人間は容赦なく地獄に入れる
アッラーがかれらを損われたのでも、不当に扱われたのでもありません。
罰を受けるのは、自分自身の行いのためであって、誰も不当に扱われることはありません。


>9:70. かれらには,先人のこれらの消息が達しなかったのか。ヌーフ,アード,サムードの民,またイブラーヒームの民,マドヤンの住民,また転覆した諸都市(の民の消息が)。使徒たちはかれらに証をするためにやって来た。アッラーはかれらを損われない。だがかれらは自分自身を害した。



(下のURLはPDFです。前から読もうと思っていたのですが、書き込みした後で読んでみたら大分話題が被ってました。)

諸世界の慈悲http://homepage3.nifty.com/hasankonakata/habibapdf/shosekainojihi.pdf
>神に絶対帰依した者がムスリムですが、ムスリムでない者をカーフィルと呼びます。カーフィルとは、「隠す」という意味の動詞「カファラ」の派生語で、つまり、カーフィルとは、神に私たちが負う恩義を隠蔽する者なのです。悪いことを何一つしなくとも、アッラーの慈悲に全面的に依存して生きている事実を認めず、そのことを感謝しなければ、それ自体が大きな罪なのです。



>本当に聞こえるなら、うつの症状かもしれないので「こんなことが聞こえてきて苦しい」など、お医者さんに話されてはどうでしょうか。
たぶん症状が改善されるお薬を出してもらえるんじゃないかと思うのですが…。

このことですが、原因はとりあえず置いといて、本来聞こえるはずのない声、他の人には聞こえない声が聞こえる、という症状に対して、治療がなされるのではないかと思って書きました。

タイトルRe^9: イスラームとの両立
記事No1898
投稿日: 2009/08/23(Sun) 23:29
投稿者MI

アッサラームアライクム ラマダーンカリーム


> 返事ありがとうございます。
こちらこそお返事ありがとうございます。


> 初めは人にこんなこと言えない。と思ってちょっと遠慮しながら信じてないように思う。と書きました。
>
> でも、本当の気持ちを書かないと。と思い、信じていない。に変わりました。
そうでしょうか。最新の書き込みも拝見しましたが、匿名さんは「アッラーはいない」と否定されているのではないので信じていない訳ではないと思いますし、信じたいっておっしゃってましたよね。
ただ、地獄のこととか、それに伴ったアッラーに対する思いに、私からすると、それは違うと思う…、って思ってしまうところがあります。


> アッラーの存在を信じているか否かは、はっきりしているべきだと思ってしまいます。
>
> 信じているか、いないか、しかありえないと思うのです。
私もkawtharさんがおっしゃるように、匿名さんはすでに信じていらっしゃると思うのですが。

> 私は自分に厳しいのではありません。 むしろ甘すぎると思います。
そうですか?


> 厳しいのはアッラーなのです。
>
> 私がどんなに苦しみ努力していても「アッラーを信じていない」のなら地獄行きです。
>
> いろいろなところで、時々「私も地獄に行くかも」のような発言をみかけますが、地獄の恐ろしさをじっくり考えられたことありますでしょうか?
地獄の恐ろしさをじっくり考えたことは多分あると思います。

> ものすごいところのようですよね。
そうですね。永さも熱さも苦しさも、生きている今考えるとほとんど想像がつかないです。
生きているときにぐつぐつしている熱湯なんてのどを通せませんし…。

> もう、この世のすべての苦しみをあわせても全然かなわないような、ものすごく凄惨な苦しみを味わわせる所です。
> そんなところへ人間をいれてしまうのがアッラーです。
この世のすべての苦しみがよくわからないので、それをあわせるのは更に想像できません…。
そこに入るのはアッラーを信じなかった人たち、従わなかった人たちです。


> 「我を信じなければ地獄へ入れる!」と言っているのがアッラーです。
信じないことは行わないことで、行わないことは世の中が乱れることだと思います。
困っている人の手助けをしないとか、そういう系統の道徳的なことは法律で罰せられるわけではないですし。

> 今日、焼身自殺した中学生のニュースが出ていますが、ご覧になりましたか?
知りませんでした。ネットで見ました。

> 彼は生きている間にどんな体験をして、焼身自殺に至ったのでしょうか?
わかりませんけど、いじめが頭に浮かびました。いまのところそういう情報は無いようですが。

> イスラームでは「自殺した者は永遠に地獄からでられない」のです。
> 彼が生きていたときや、死んだときの苦しみなど、なんでもなかったと思うような本当の地獄が永遠に彼を待っています。
> これがイスラームの真実ですよね。
でもアッラーは、ある自殺者を、預言者(SAW)の許に移ったことを賞し許されたというハディースもあります(日訳サヒーフムスリム第1巻P88)。
クルアーンの8章74節にあるように、赦されたわけです。もちろん、特殊な例だとは思います。


> ムスリム以外は天国には入れないはずですから、日本人の大半は地獄行きです。
もう亡くなった方はそうかもしれませんが現在生きている人達が死ぬまでムスリムにならないかどうかは分かりません。

> 繰り返しになりますが地獄は物凄いところです。
> そこへ人間をいれてしまうのがアッラーです。
それはアッラーを信じなかった人たち、従わなかった人たちです。


> 私がアッラーを信じられなくて苦しんでも、日本人がイスラームと触れ合う機会が少なくても、それはすべてアッラーが望まれた事。
> そして、アッラーを信じなければ永遠の地獄が待っているのです。
上の文の方、これが「何か違う」って思ってしまうところです。
信じられずに苦しむことをアッラーが望むでしょうか?そんなわけない、と思います。
「匿名さんの力になりたい」と皆さん思っているのでは?、とシンショーヴナさんもおっしゃっているように、私もそう思っています。
私達人間でさえそのように思うのに、信じたいと思っている匿名さんを人間を作られたお方が放っておかれることがあるでしょうか?
皆さんがこうして好意的に書き込みをされていることが、匿名さんが苦しむことをアッラーが望まれない証拠だと私は受け止めます。
また、日本人がイスラームと触れ合う機会が少ないとおっしゃることに関しては、今、まだ少なく感じるかもしれませんし私もそう思っていたのですが、
よく考えたら、たとえば5年前、10年前、50年前と遡れば、ずっとずっと身近になったのではないでしょうか。
アッラーがイスラームが広まることを望まれていなければ、今の状態にさえなっていないだろうと思います。


> 地獄の存在が、私をイスラームから遠ざけます。
> どうかんがえても自分が創った人間を1人でも地獄に入れるなんて、私には受け入れられないのです。
聖書にある例えですが、地獄で焼かれるのはよい実をつけない木です。よい実をつける木が焼かれるのではありません。クルアーンにもよく出てきますよね、こういう人とこういう人が同じだろうか、っていう箇所が。
このように違う人々が、同じ評価をされると思いますか?
この世で現実として考えても、いつまでたってもよい実をつけない木は、抜かれて焼かれるのではないでしょうか。

> この世にはものすごく悪いことをした人間もいます。
> でも、神ならばそういう人の魂をこそ救って欲しいと思ってしまうのです。
ですから、そういう人を救うために、預言者を使わされ、啓典を下され、また種々の印を明示されているわけです。
すべての罪を許されるお方だから悔悟してかれに帰るよう呼びかけられています。

> 悪人は決して幸せな人生を送ってはいないでしょう。 精神が正常ではなかった人なのだと思うのです。
どういう種類の悪人か分かりませんが、実際に精神が異常なら罪には問われないのではないかと思います。
おっしゃっているのは殺人のことかな、と思うのですが、他にも悪いことはいろいろあります。
量りをごまかしたり高利を取ったり、詐欺でお金を得たりしている本人たちは、物質的には幸せな生活を送っているのではないでしょうか。
こういう、人を苦しめることをしているのに自分達はいい事をしている(得している等)と思い、悔悟することも無く一生を終えた人たちと、そうではなかった人たちが、一緒にされることを匿名さんは望みますか?


> この世ではありえない「やったほうもやられたほうも幸せで何の問題もない世界」を成立させてほしい。
例えが適切ではないかもしれませんが、努力して合格点をとる受験者と、勉強せず、それどころか努力していた受験者を妨害していた人までいる不合格の受験者を同じに入学させてほしいというようなものです。
本当にありえない、不公正なことだと思います。


> 地獄があることが前提でなりたっている天国が私にはうけいれられないのです。
私は、改宗前だったかもしれませんが(天国に入れたとして、地獄で苦しむ人がいるのに楽しむことが出来るだろうか)と考えたことがあるように思いますが、今は思いません。
多分、クルアーンを読んだこと、多少理解したことで、心の中にあった(地獄に落ちる人はいてほしくない、みんな天国に入ってほしい)のような、願望みたいなものが無くなったからではないかと思います。


> 真剣に自分が地獄に行く事が決定していると仮定して考えてください。
> 地獄に行く事が決定している人は実際にいます。
> 自殺した人、多神教徒のまま死んだ人。
> その人たちの事を考えると、クルアーンを信じる事ができなくなります。
多神教徒についてだけ触れますが、アッラーは、人間が生きている間、食べ物、飲み物を与え、病気を癒し、家族を、財産を与え、またそれらを増やされています。
そうして生きている間ずっと慈悲を与えられ、必要なものを与えてもらっているのに、それを与えられた方ではなく、何も与えることの出来ないものを拝んでいるからお怒りになられるのだと思います。
ご存知かもしれませんが、地獄からアッラーの慈悲によって天国に入る人がいることがハディースに出てきますよね(人数はわかりませんが)。


> でも、きっとイスラームは正しいのでしょう。
> 私に理解できないからと言って、イスラームが真実でない。などとはとても言えません。
私も正しく理解できているわけではないと思いますけど…。


> イスラームを信じる。ということは決して推測ではいけないと思います。
> アッラーとその使徒、その他、天使などを確信を持って信じていなければ、その目で見たように信じていなければそれは信じているとは言えないと思います。
いると思うなら、いると信じているのだと思います。


> 私はどうしてもそれができない。
>
> アッラーはとても寛容ですが、「アッラーを信じているかどうか」の一点については非常に厳しい。


こちら↓とか読まれたことあります?
一部分コピーしますが、時間があればリンクをクリックして読んでみてください。

悔い改める者の道しるべA
http://blog.goo.ne.jp/qurtaf/e/639dfbbf05ae43f87d4d0b2a3d5beb33
≪かれらのうち、わたしに近づこうとする者に、わたしは遠くから彼を迎えるだろう。また、かれらのうち、わたしに背く者を近くから呼ぶだろう。わたしを想う人々は、わたしを愛する人々であり、わたしに感謝する人々は、わたしの(糧の)追加を享受する人々。わたしに対し罪を犯す人々に、わたしは、わたしの慈悲を諦めさせるようなことはしない。かれらが悔悟すれば、わたしはかれらを愛する者となり、悔悟しなかった場合、わたしはかれらの医者となろう。わたしはかれらをありとあらゆる災難で試すが、それはかれらを罪、欠点から浄化するため。わたしの許では善行一つを、10倍からそれ以上に増やそう。悪行はそのまま数えられるが、わたしはそれを赦すだろう。わたしは、母親が子供に愛情を寄せる以上に、しもべに愛情深いのである。≫ (ハディース クドゥスィーより)

タイトルRe^5: イスラームとの両立
記事No1895
投稿日: 2009/08/23(Sun) 17:41
投稿者MI
アッサラームアライクム ラマダーンカリーム

他の返信も下書き中なのですが、ちょっと気になったのでこちらを先に。


> なのでアザーンも、クルアーンもすべて地獄からの声に感じてしまいます。
>
> 「おいそこのおまえ、信じてないな! イバーダしてないな! こんなに素晴らしいアッラーを信じていないな! おまえは地獄行きだ!!」
>
> と、こう聞こえるのです。
>
> 無理して無理してがんばってハラムを避けていると
>
> 「イスラムではこれは禁止だ! あれも禁止だ! お前がしたいと思ってる事は全部禁止なんだ!」
>
> と言う声が聞こえてくるんです。


本当に聞こえるなら、うつの症状かもしれないので「こんなことが聞こえてきて苦しい」など、お医者さんに話されてはどうでしょうか。
たぶん症状が改善されるお薬を出してもらえるんじゃないかと思うのですが…。