タイトル | : Re^3: イスラームとの両立 |
投稿日 | : 2009/08/06(Thu) 12:16 |
投稿者 | : シンショーヴナ |
今更ですが、ちょいと書かせていただきます。
(以前何度か送信しようとしたのですが、あまりにも長文になってしまい送信を諦めました)
> > 信じることは出来ますよね?頑張らなくても、、
>
> これが一番の悩みです。
> 私は信じていないのでは?と思うのです。
いつ頃からだか分かりませんが、いつも私は「自分を俯瞰して観察している自分」を感じます。自分で意見を言っている時に、「相手は私や私の意見に関してこう考えるだろうなぁ」と相手の意見を「先読み」してそれに対する意見まで(たとえ相手が実際にそう考えていなくとも)話している私がいます。
だから、匿名さんの「私は信じていないのでは?」というお気持ち、分かる気がします。
私も「実際は自分自身に『私は信じている』と暗示をかけているだけで、心の奥底では信じていないのでは?」と不安に感じることがあります。
↑
「自分を俯瞰して観察する自分」がそう問いかけるんです。
凄く不安になります。そういう気持ちになった時は。
「自分では信じていると思っていたのに、審判の日に『お前は信者ではなかった』と宣告されたらどうしよう」と。
そういう時アッラーに祈ります。
「どうか私が真の信者でありますように、信者として死ねますように」と。
こう祈ることができるだけでも、少なくとも私はアッラーを信じているんだろうなぁ…と、やはり「俯瞰した自分」が観察しています(あぁ、何だろう私って)。
> でも、まだ信じられません。
> すくなくとも自分では信じているという実感を持てません。
> 哲学としては素晴らしい教えがたくさんありますが、宗教として心に響くものがないのです・・・。
匿名さんのお心を否定・非難しているわけではありません。でも…うまく書けませんが、もしかしたら匿名さんは「こうしなさい」「こうするべきです」という「純粋に実践面の勉強」がメインになっているのかもしれないなぁ、と思いました。
他の方が書かれていたかもしれませんが、ハディースで「アッラーはご自分の100のお慈悲のうちの1つでこの世をお創りになり、残りの99は来世の為にとってある(概要です、訂正宜しくお願いします)」というのがあります。
こんなに素晴らしい世界を作って人々の心に愛を注ぎ込んでもまだそれはアッラーのお慈悲の1パーセントを費やしただけで、残りの99が放出された時はどんな素晴らしいことになっているのだろう、と驚いてしまいます。
> 一体この先何年間「信じていること」にしてやっていけばいいのか・・・。
> こういう状態で崇拝行為をするのは大変で・・・。
>
> 一体、信仰とは理性でするものなのでしょうか、それとも感性でするものなのでしょうか・・・。
匿名さんはとても純粋な方なのだと思います。一生懸命向かっていこうとしている姿が感じられます。
これは素晴らしいことだと思います。
でも、少し力を抜いてもいいかなぁ、と感じます。
私が楽天家なだけかも知れませんが(汗)。
> それが「この世の頑張り次第で、死んでから《永遠に》評価され、それにみあったところで存在しなければならない」と知り愕然としました。
> それならば何を頼みにこの世をやり過ごせばいいのでしょうか・・・。
ハディースにあります。多分サハーバが預言者様に質問したことの答えとしてだったと思いますが…
「あなた方は、以前(改宗前)の善行によってムスリムになったのですよ(概要です、訂正宜しく)」
匿名さんはご自分を過小評価されているようですが、そんなことありません!!!!
それに「(この世の頑張りに)みあったところで存在しなければならない」とありましたが、それは逆です。
「あなたが一生懸命頑張ったことが全く損なわれることなく充分に評価されてあなたのその評価を反映したご褒美が頂ける」のです。
> 信じたくても信じられず、ちょっとしたことですぐ病気になり、根性もなく、頭も悪く、要領も悪く、性格も悪く、マイナス思考しかできない私が何を楽しみに人生を生きればいいのでしょうか。
私も要領が悪い「らしい」です、家族曰く。大卒ですが、知識は若干偏っています。頭のよさは学歴だけでは測れません。学歴が高くても一般常識を知らない人も沢山います。私はしつこい割にはどうでもいい、と感じたことはすぐに諦めるタイプ。周りの「おおまな」評価では私は「良い人」らしいですが、私の心の中を見たらみんながびっくりするぐらいドス黒いと思います。
…匿名さん。マイナス思考だからこそ自分を見つめることができるのかもしれませんよ。マイナス思考=ダメ、ではないと思います。
> アッラーのご慈悲で地獄行きをまぬかれたとしても、天国にも「レベル」があり自分の「人間的レベル」の低さゆえに最低レベルの天国にご慈悲で入れてもらった事にあまんじなければならない・・・。
天国では誰も不平不満を感じることはないそうです。確かに天国にはレベルがあるそうですが、「あぁ、私は低いレベルだ」とか「あぁ、あの人はいいなぁ、私よりもずっと上のレベルだ」などと感じることもない。皆幸せに過ごすのです。
それにアッラーにお慈悲をかけれらること(最終的にはお慈悲で天国に入ること)は決してマイナスではありません。むしろプラスなのです。アッラーがあなたを選んでくださるのですから。
ハディースにあります。「(天国に入る)人間は皆アッラーのお慈悲で天国に入るのです」。この言葉に続いて、アッラーから罪を赦され天国行きが決定している預言者ムハンマド様ですらアッラーのお慈悲なしには天国に行くことができない、と続きます。
つまり、どんなに徳を積んだ人でもアッラーのお慈悲なしには天国に行けないのです。
> 「徳の高い人々」が高いレベルの天国でアッラーの寵愛をいただいているその脇で「低い人間」として存在し続けなければならない・・・。
匿名さん。勿論「高いレベルの天国」に行く人の善行や心意気は素晴らしいものでしょうが、(比較上自分より)下のレベルの天国にいる者を「あいつは低いレベルにいる」などという人間は天国にいないでしょう。そんな驕った心意気の人間は既に天国に入る資格がないと思います(アッラーのみがご存知ですが)。
私自身、天国に入ることができるかどうかホンキで不安ですが、もし一番下のレベルの天国(比較上)に入ったとしても、皆仲良く幸せに過ごせるだろうなぁ、と思います。だって「天国では誰も不平を言わない」と書いてあるのですから。
> 低い人間として生きなければいけないのは現世でだけ、と思ってなんとか頑張ってきたのに・・・。
現世でも、一生懸命生きている人間は決して「低い人間」ではありません。匿名さんは一生懸命頑張っています!!!そのような人を「低い人間」だなんて言えません。そのような一生懸命な人を「低い人間」だと評価する人間のほうが低いんだと思います。
「自信を持って!!!!」なんて軽い言葉は言えませんが、とにかく匿名さん、あなたは低い人間なんかぢゃないですよ!!!
> 私は何をどうしたらいいのでしょうか。
あなたと比べたらかなりテキトーに生きている私が偉い事を言う筋合いはないのですが(あぁ、私も頑張らねば…)、ある方が言っていました。
「どれだけ難しい勉強をすればいいのか、という問題ではありません。日々の生活でアッラーを感じ感謝することが大切です」
暑い夏に冷たい水を飲んで「あぁ、美味しい。こんな美味しい水で私の渇きを潤してくださったアッラーに感謝します」と感謝する。1日一日を一生懸命生きて「あぁ、今日も一日が終わる。生かせてくださったアッラーに感謝します」と感謝する。
アッラーはそんな(一般的に見たら)些細な日常の一つ一つに感謝する人間を決してお見捨てにはなりません。
> saphiaさん、おっしゃるとおり人間のうち誰一人私のことをわかってくれる人はいないでしょう。
これ、私は落ち込んでいた娘に言われました。
「ママに私の気持ち分かるわけないよ!!」
確かに他人の気持ちは100%そっくりそのまま分かるわけないと思います。だって「私」=「あなた」ではないのだから。でもそれはあなたが他人に理解されない、ということでは決してありません。「あなた」=「私」には決してなりえないだけの話。あなたを理解しようとする人、理解したいと思っている人は沢山いるはずです!!!
…私もそんな人達の1人です。
> きっとこんな事を書いて人々を不快にさせ、さらに罪が増えているのでしょう。
不快に思う人はいないんぢゃないかなぁ…むしろ「あぁ、匿名さんの力になりたい!!!」と皆さん思っているのでは?
> 頑張れ、頑張れ、と言われ続けた10年。
> 本当に、本当に、疲れきりました。
うつの人に「頑張れ」はきついんですよね…
もしできることなら、少し力を抜いてみてください…