タイトル | : Re^3: イスラームとの両立 |
投稿日 | : 2009/08/04(Tue) 13:48 |
投稿者 | : kawthar |
人間っていうのは、感性も理性も併せ持っている存在ですよね。
匿名さんは、アッラーの存在を心で感じることができないために、義務や、審判の日に評価されることを、負担に感じてしまうのかなぁ、と思います。
8世紀の、ラビアという女性の祈りを紹介させてください。とても好きなんです。
「おお神よ、もし私が地獄の恐怖からあなたを礼拝するのでしたら、私を地獄で焼いて下さい。
もし私が天国が欲しくてあなたを礼拝するのでしたら、私をそこから追放して下さい。
しかし、もし私があなたご自身のために礼拝するのでしたら、どうかあなたの永遠の美をお取り下げにならないで下さい。」
ラビアというのは、スーフィー(イスラム神秘主義・タサッウフの修行者)でした。ただアッラーへの愛のために生きた方です。
信仰には、いろいろな姿勢がありますね。
こちら↓のウェブサイトが、参考になるかも。お時間がありましたら、読んでみてください。
http://www.isuramu.com/sufizm/sufizm18.htm
アッラーを信じ、すべてを任せるときは、人がほんとうに自由に解き放たれる時であるそうです。しかし、それには、自分がもっているいろいろなこだわり(現世に対する執着も、天国に対する執着も含む)をすべて放棄しなくてはなりません。その境地にまで至れる人は、ほんのわずかなのでしょうね。
この道を極めることは、天国のために礼拝をして実際に天国へ入ることよりも大変なのかもしれません。けれども、そういった修行者の言葉や生き方を知ることで、信仰の豊かさを得られるのではないか、修行者でない一般のムスリムにとっても、大きな糧になるのではないかと私は思います。