レリーフには、銅板で説明がつけられている。 この色で囲まれた部分が説明書きです。 |
第 一図 別子銅山全景の図 第 二図 坑内入口の図 第 三図 水揚の図 第 四図 採掘場の図 第 五図 砕女小屋の図 第 六図 焼かまどの図 第 七図 素吹床の図 |
第 八図 銅を取る図 第 九図 仲持の図 第 十図 真吹の図 第十一図 棹吹の図 第十二図 淘汰の図 第十三図 新居浜口屋の図 |
別子銅山は愛媛県宇摩郡別子山村、新居浜市、高知県土佐郡大川村の二郡一市にまたがるところに位置します。 元禄四年(1691年)の開坑以来、昭和48年(1973年)の閉山に至るまで、江戸、明治、大正、昭和の四時代、282年にわたって住友によって稼行されました。 急傾斜で深く帯状に貫入した鉱床は、別子型層状含銅硫化鉄鉱鉱床と呼ばれる世界でも稀にみる大鉱床で総出鉱量約3,000万トン、含銅量にして72万トン余を産出。坑道延長は700キロメートルにも及びました。 | |
銅を産出する鉱山には、必ず地表にあらわれた鉱脈が自然風化によって出来た露頭がある。これは一般に「焼け」と云われている。 鉱山師は露頭の良し悪しを見分け採鉱を決心するとまず支柱をする。小坑木(「矢木」と云われている))をその天井に敷き並べ、さらにのみで岩ばんを削り岩ばんとの空隙をなくして崩れを防ぐもので、この坑門を四留と言う。この坑門の上には鉱山の守護神たる大山積神を祀っている。 探鉱夫は白木綿に黒襟をかけた坑内作業衣を着て、腰にはわらであんだ尻すけを下げ、足中(あんなか)と言って短く切った草履をはき、坑内燈を提げ、背に葛で編んだ鉱石運搬用のかごを背負って坑内に入っていったものである | |
坑内での採鉱は、鉱脈を追って下に掘り下げるものである。深くなれば自然湧水が出て採鉱ができなくなるため、この水を昼夜を分たず、坑外へ汲み出さなければならない。その為に木または竹で、長さ一丈程の箱樋をつくり、水箱を置いて人力によるピストンの作用を応用し、これを数十挺ないし数百挺を連接して行う。 この一ストロークの揚水量は約五升で一分間に平均17ストロークの速度で作業し、一人一挺約二時間で交代する。 | |