銅品位を上げる為め、火床をつくり、二人がふいごを吹き、一人が長い鉄火箸を持って按配する。風と火が廻ると鎔けて湯になり、銅分は沈み、その他の滓が浮くのでこれを流し出して棄てる。銅分がたまるとこれを冷やす。残ったものは半製品銅塊である。 | |
銅を取るのは殆ど素吹と同様の方法であるが、これは鎔けて湯になった銅が櫨の中で、一杯になると土でこれを覆い、一つの小孔をあけておいて炭を入れふいごを吹く、そして滓が出れば捨てて鎔けた銅湯はアラカネと言われ初めて銅となったものであり、櫨を開き熱が若干下がるのを待って少し水を注ぎ取る。 | |
仲持(なかもち)とは、運搬人のことを言った。 銅山で出来た粗銅や半製品銅塊は、人肩によって銅山のふもとの立川中宿まで搬送しさらに人肩または牛馬車で新居浜口屋へ送られた。なお銅山で消費される米穀類も人肩によって運搬されていた。 背に負うものをおいこと云い、杖は握りのところが直角になっているので、休憩するときはたったままでこの杖の握りでおいこを支えて小休止をしたものである。 | |
仲持の歩いた登り道については、こちらをご参照ください。 |