日鉱記念館本館の左側に「旧久原本部」という木造の住居のような建物が保存されている。
日立鉱山の創業者である久原房之助氏が、ここを拠点に事業を始めたという、日立鉱山や日立グループの発祥の地ということであった。
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茨城県指定文化財(史跡第24号)
昭和45年9月28日指定
旧久原本部
旧久原本部は、明治38年(1905)の暮、久原房之助氏が日立鉱山開発の本部として建てた当時の小家屋である。
この辺はその頃杉の大木がおい繁った昼なお暗い山間の乗り物もない交通不便の僻地であった。
久原氏はこの本部に起居し、ある時は鉱山経営近代化の構想を練り、ある時は経営不振に心を痛めながらも、その克服に勇気を振い起こしたこともあった。
公害問題解決のため、大正3年(1914)建設され、当時世界一を誇った大煙突の世人を驚かした計画も、実はこの本部の一室で立てられたものである。
現在その一室に、「苦心惨憺虚」という額が掲げられてあるが、これは久原氏が後年、ここを訪れた際、創業当時を回顧して書かれたものである。
たしかに労使の共にした苦心惨憺の毎日こそ、常陸の豪族佐竹氏が、近世のはじめ秀吉時代に鉱床を発見して以来三百余年、御三家水戸藩の力をもってしてもついに成功しなかった鉱山を、わが国屈指の銅山たらしめた原動力である。
日立鉱山の近代的開発は、日立発展の礎となったばかりでなく茨城県勢前進の上に大きな役割を果たした。
歴史的に意義のあるこの旧久原本部が、生きた史跡として長く保存されることを望む。
日立市文化財保護委員会 瀬谷義彦 撰文
日立市教育委員会
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