タイトル | : Re: 頑なな心を捨てて素直に生きましょう |
投稿日 | : 2012/08/20(Mon) 14:06 |
投稿者 | : 匿名の1人 |
> 信仰のために信仰があるのではなく、やはり、人が幸せな生活を送るために、信仰があると思います。そんなにイスラムの信仰に頑なにしがみつく必要があるのでしょうか。
ムスリム(イスラーム教徒)は、程度・認識の個人差があれ、「来世での幸せ」のためにこの現世を生きています。
かといって、来世のために世捨て人になることを勧めてはいません。
来世に幸せが得られるよう、「良い人」として生きる事で、現世もよりよく生きることができる、と思っています。
預言者ムハンマド様は「私は普通の人のように食べて寝て、市場を歩き、結婚もする」と仰って、「世捨て人のように生きてはいけない」、と注意されました。
ムスリムにとって「現世を『善い人』として生きる」ことと「来世の為に現世で努力する」ことは同じなのです。
> 今のイスラム社会で、その幸せな生活が実現しているのかと考えたら、管理人さんは、首肯できますか。
今日本で「経済的理由(貧乏)」が理由でTVがない家庭は殆どありません。
固定電話がなくともケータイがある家庭が殆どです。
それでも、今日本の子供の7人に1人は貧困状態にある、という統計が出ています。
http://www.news24.jp/articles/2009/10/20/07146149.html
日本だけではありません。アメリカでも以前から極端な社会格差が問題視されています。「夢を実現する国」と言われている国でです。
勿論他の国でもそうですが、例を挙げていくときりがないのでやめます。
ムスリム(イスラーム教徒)が幸せになろうと信仰に生きているにもかかわらず、「一般論」でいう幸せな状態にないのは、いろんな理由がありますが(国家の体制等)、それだけではありません。
「神がそう定められた」からです。
だから、真の信徒は、自分が「一般論」でいう幸せな生活を送れなくても、「何故私は信心深いのにこんな生活なのだ」と、自分の宗教に愚痴を言ったりしません。
そういう信仰は「ご利益宗教」というものです。イスラームは違います。
確かにイスラームの話をいろいろ見ていくと、「○○をすると、アッラーはこれこれして下さる」「○○をすると、アッラーはこれだけのご褒美を下さる」という記述を目にします。
しかし、私達は現世の、今行った善行のご褒美が今すぐなくても嘆きません。
私達の善行の目的がそういった「目先のご褒美」に留まらず、「そんなにご褒美を下さるほどアッラーがお喜びになる善い行為だ」という認識で行動するからです。
> なんで、管理人さんやイスラムの人たちはそんなに排他的な態度とこころで人の幸せを言うことができるのか、疑問なのです。
済みません、管理人さんも質問されていたと思いますが、私達のどのへんが「排他的な態度とこころ」なのでしょうか。非難ではなく、純粋に質問しています。
>信仰の違いを超えて、頑なな心を捨て、自由に考え、普通に自分の親や御先祖様を敬い、感謝して生きることがいずれにしても人間には欠かせないことだと思います。
私達も、自分の親や亡くなった先祖のためを尊敬し、祈ります。それはムスリムの多い地域をご覧になればお分かりになると思います。
しかしそれは、日本人の一部が考えているような、「ご先祖様が守ってくださる」という理由ではありません。
守ってくれるのは、究極的にはアッラーしかいらっしゃいません。
アッラーが私達人類をお創りになった、という認識を持ちつつも、「親や先祖がいなかったら、今の私の形成がない」等々の認識があるからです。
そして「親を大切にせよ」という、アッラーのお言葉があるからです。