タイトル | : Re^3: あるイードにて 母国語の大切さ |
投稿日 | : 2008/12/04(Thu) 13:44 |
投稿者 | : 途中参加ムスリム <assalaamalaikum@yahoo.co.jp> |
私の言い方に不足があり、誤解が生じました。
日本語にこだわっているわけではなく、みんながわかる言葉でするべきと言うことです。混乱が生じないように、モスクに日本人がいるかいないかはとりあえず置いておきます。いないという前提でもいいです。
たとえば、中部地方のイードにはサウジアラビアからイマーム殿が来られてフトワしますが、このとき使われる言葉はアラビア語の単語をいっぱい織り交ぜた英語です。ここに来るのはパキスタン人もいればインドネシア人もいますし、アフリカ人もいます。英語が一番、みんなが分かるであろう言葉だからです。
みんなが分かる言葉だというのなら日本語とは言わず、英語でもフランス語でもエスペラント語でもいいです。一番いいのはアラビア語であることは言うまでもありません。
私がひとつ、あぶ様の投稿を呼んでものすごく納得のいかなかった点が一点あります。日本語というよく分からない言葉でフトワが始まるということで、インドネシア人たちが不満そうな顔をしていた・・・それは人間として、ムスリムとして絶対にしてはいけない事です。
日本語だからまだいいです。それが、たとえばパキスタン人のイマームがウルドゥー語でフトワをしたとして、多分インドネシア人はウルドゥー語を日本語以上に理解できないでしょう。そこでまたつまらない顔をしたらどうなるでしょう?次にインドネシア人がフトワした時にパキスタン人たちが報復で、つまらない顔をするかもしれません。そこでウンマの分裂が開始します。それじゃ何言っているか分からないからインドネシア語だけをしゃべる人のモスクを作ろう。パキスタン人だけのモスクを作ろうといった動きになるかもしれません。で結果的に岐阜のようにトルコ人だけがモスクを作ってそこではトルコの暦のみを採用しウンマと別々に、イスラムが民族宗教化していく原因になります。たとえ、理解できない言葉でもイマームが前に来たらまじめに聞くべきです。僕だって日本人ですから、はっきり言ってインドネシア語もウルドゥー語も、タミル語も分かりませんが、つまらない顔はしません。何語で話していてもキターブという単語が聞こえたら本のことだろうな。ドゥンヤーという単語が聞こえたら世界のことだろうなとか想想像して聞いています。
新居浜はインドネシア人しかいないのでしょうか?あるいはインドネシア語でしかしないから他の国の人が来ないということではありませんか?もし日本語ですれば、他の国から来ている人にも平等にフトワができるかもしれません。みんな少しは日本語が分かるのですから。そしてそれは英語でもアラビア語でもいいです。
名古屋モスクのイマーム様はパキスタン人ですがこの方は日本語をしゃべるのが好きな方でよく、日本語で話していますよ、前にいるのがパキスタン人だけでも。
日本人がいるかいないかより、ここがどこの国かを考えるべきです。