タイトル | : あるイードにて 母国語の大切さ |
投稿日 | : 2008/11/26(Wed) 14:25 |
投稿者 | : あぶ管理人 <akira_hamanaka@yahoo.co.jp> |
新居浜では、マスジドに常に居て地域のインドネシア人ムスリムをまとめていたイマームT君が国に帰り、今は私一人の運営となっている。
最近ではイードとなると大多数を占めるインドネシア人の寮の前の広場で礼拝をするのだが、今年のイードでは母国語の大切さを知らされた。
普段は、私もインドネシア語で会話したり、勉強会ではインドネシア人がインドネシア語で進めたり、私がしゃべったことをインドネシア語へ同時通訳をして進めることもあった。
今年のイードでは、通訳もおらず、とにかく私の説教となった。私が何語で話すのか、みんなの視線が私に注がれた。私が発した言葉は日本語だった。
彼らの目が「わからない言葉を20分も30分も聴かされるのはたまりません。」と語っているようだった。私は手を上げ、「簡単にしゃべるから」と言って、ほとんどアラビア語のドアーに切り替えて、終わらせた。私とすれば参加者の中のわずかな日本人のためだけに語りたかったのであったが、彼らの目を見て方針変更となった。
わずか5分か10分の説教が終わった後、インドネシア人男性陣に目をやると、原稿を用意している者がいた。それで、その者に、しゃべるように言った。彼はとても雄弁で、じょじょにインドネシア人女性からすすり泣きがもれてきた。祖国を離れ過ごすイードに、家族を思い流す涙だった。
「準備してるんだったら最初ッから言えよ」
もう少ししっかり打ち合わせしておくべきたっだ。日本人へは、食事食べながらでもマンツーマンで伝えることができたのだ。
これが現実だ。これも頭に入れて、日本語化を考えなくては。