タイトル | : Re: あるイードにて 母国語の大切さ |
投稿日 | : 2008/11/28(Fri) 19:23 |
投稿者 | : 途中参加ムスリム <assalaamalaikum@yahoo.co.jp> |
アッサラ−ムアライクム
まだ日本語の得意なムスリムが少ないという現実と、いずれは日本語でイスラムが行われていくという理想が少しでも縮まっていけばいいかと思っています。
でも今年のその新居浜のイードはもったいない事でしたね。せっかく日本語で説教が行われるというよいチャンスだったのに。それには申し訳ないけど、その話を聞いてインドネシア人にクレームを言わずにはいられません。イスラムはインドネシア人の民族宗教ですか?と。インドネシア人って結構ヒンドゥー教徒もいますよね。それに対して、何を言っているかわからないので日本語で説教してという資格はないし、インドネシア人も言われる筋合いはない。なぜならヒンドゥー教は民族の宗教ですから。ヒンドゥー教徒が何語でしているのかは知りませんが、彼らの民族の宗教ですから彼らの言葉だけで良い。どこの国へ行っても。
しかしイスラムは違う。日本人にだって、あるいは日本に住んでいる他の国の民族の信者だっているんだから、ひとつの民族だけがわかる言葉でやるのは不公平だし、それに対しては抗議する資格もあります。それならアラビア語だけでやる方がまだ公平です。
またここはイマームである、あぶ様の威厳の見せどころでもあると思います。5時間も6時間も話すわけじゃないんだから、20分30分ぐらい、少々分からなくても我慢して聞きなさいと。
私も小さい子がいますから、親や大人の話をめんどくさがって聞かないことがありますが、我慢しなさいと言えば我慢して聞く。そうすればいい。
あるいはその場にはパキスタン人はいなかったのですか?バングラデシュ人は?トルコ人は?他の国の人がいてもインドネシア語だけでするのでしょうか?そんな涙を流してしまうほどいい話なのにインドネシア人にしか分からないなんてもったいなくありませんか?日本語でやれば、みんなが少しずつ分からなくても、みんなが少しずつは分かる。日本に住んでいるのですから。これが世界宗教。インドネシア語だけでやるのは民族宗教。
あるいは嫌そうに見えただけかもしれません。インドネシア人だって、ここは日本。壇上に上がったのも日本人。だったら日本語で話すだろうと普通思う。思うのが普通です。日本人が嫌いならはじめから日本には来ない。日本人が少しは好きだから他の国ではなく日本に来たはずです。その日本人が日本語で説教をしたら、きっとみんな感心するんじゃないでしょうか?日本も進んだなと。
すばらしい経験だと思います。来年もぜひ日本語で行ってください。