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(平成元年2月「新居浜のむかしばなし」編集委員会編 新居浜市教育委員会 発行)より |
下部鉄道跡と国鉄機関車(昭和41年、写真撮影:篠原文雄氏)
別子鉱山鉄道下部線(下部鉄道)跡 海抜1300mの山向こうにある別子銅山の生命線は、運搬路であった。住友初代総理人広瀬宰平は、明治24年(1891)、近代化による産銅高急増に対応するため、別子鉱山鉄道の建設に着手、明治26年(1893)3月、惣開−端出場間10km余りの下部鉄道、同年8月、石ヶ山丈−角石原間5.5km余りの上部鉄道が完成、ドイツ国クラウス社製の蒸気機関車が走った(上部鉄道は明治44年(1911)廃止)。 下部鉄道には、当初、新居浜(惣開)・土橋・山根・板之元・端出場の5駅を設置したが、板之元駅は、明治28年、山根精錬所とともに廃止、その後、黒石(明治38年)・滝ノ宮・原地・星越(大正14年-1925-)の各駅が増設された。 昭和4年(1929)11月、鉱山専用鉄道から一般乗客も利用可能な地方鉄道となり、新居浜港線(昭和11年-1936)・新居浜駅連絡線(昭和17年-1942-)を増設したが、戦後バスの普及により鉱山専用鉄道に戻り、昭和48年(1973)の別子銅山閉山、昭和51年(1976)の台風による山崩れにより、翌年2月、84年の歴史に幕を閉じた。 べっしこうざんてつどうかぶせん(かぶてつどう)あと 小学生用解説
惣開と端出場を結ぶ鉄道。別子銅山の銅や働く人を運ぶための鉄道として、1893年3月から1977年2月までの84年間使われた。他に上部鉄道があったが、1911年に使われなくなった。 新居浜市
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以前はJRの線路の下を抜けると舗装が無くなっていたが、その後整備されていた。 |
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その先は、当時の盛り土が残っていた。 | その後、盛り土はスロープとなり国道11号の高架橋に続く。 |
盛り土の鉄道跡地が続いていた。 |
左の盛り土の上も舗装され歩道となっていた。 |
国道11号線の上を越える橋 | |
橋の上は通行禁止になっていた |