(裏面)
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天野喜四郎翁事績
抑々 多喜浜塩田は江戸時代西条藩領内に於ける三大事業の一つとして世に知られ 宝永元年長野県の人深尾権太夫翁が起工 久貢山沿い13間浜堤を完成したが 享保5年深尾氏の逝去に依り 広島県御調郡吉和浜の塩業家天野喜四郎翁が此の地の人々の懇請をうけ 来りて久貢山の地に居を定め塩田の築造に着手したが 享保8年の一大飢饉に遭遇せしため紀州藩を通し幕府に糧米貸丁万を出願して容れられ 糧米を確保したことにより近郷近在の人々喜んで工事に集まり 地方民の飢を救い一方工事は順調に進捗した その故をもって11年17日喜四郎は紀州藩に召され藩候に嘉賞され酒食並に御盃を賜る光栄に浴し 享保9年塩田 16町6反を完成 続いて享保18年塩田宅地田畑併せて36町1反の築造に成功し多喜浜塩田の基礎を確立 更に次期工事を計画中 宝暦6年初代喜四郎翁は惜しくも世を去ったが 喜四郎翁の夢は歴代の天野氏の手に依り二百余年の継続事業として続行され 古浜、東分、西分 北浜 沖浜 三喜浜併せて240町歩に及ぶ日本屈指の大塩田となったもので 初代喜四郎翁の功績は明治30年第2回水産博覧会に際し総裁大勲位彰仁親王より賞状を追贈される光栄に浴した
時移り世変わりて昭和34年多喜浜塩田は廃田となったが 時代の脚光を浴び工業団地として新しく飛躍発展を見んとする時 初代喜四郎翁の旧邸遺跡の地に碑を営み その功績の一端を誌して永く後人に伝えんとするものである。
昭和45年 弥生
新居浜市文化財保存委員会
合田正良
池田窓雪 謹書
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