東人の新居浜生活/近郊の観光地
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広瀬邸
広瀬邸
広瀬邸の庭の広さもかなりなものであった。
また、実際の屋敷に上がり、すべての座敷を見ることができた。
広瀬邸は母屋と新座敷棟が続いており、母屋は2階建てで、二階には書斎や新居浜市内が見渡せる望煙楼と呼んでいた部屋等があった。
一階の二つの居間には、珍しい形の暖炉が設置されていた。
母屋の台所も広い土間であり、かまどや水場などがあった。ここで多くの使用人が働いていたのだろうと思う。
新座敷棟は主に客人用の部屋で、楠造の風呂が設けられていた。
広瀬歴史記念館の建物は、平成9年に日本建築家協会四国支部が選定した「四国の優れた建築88カ所」に選ばれている。
広瀬邸入口には、
建築巡礼四国八十八ヶ所
第六十三番建築札所 のスタンプが置かれている。
広瀬邸母屋外観
台所
二階の書斎
庭園
庭園には指月庵という茶室もあるが、広瀬宰平は客人を指月庵に招き、紅茶を出したという。
広瀬邸は明治10年、この場所に建てられたと今まで言われていた。
2001年7月26日、新居浜市教育委員会・調査委員会の発表によると、広瀬邸は明治10年に
久保田町
1丁目に建設され、明治18年に現在地に移転・増築されたものという。
2001年9月26日付けの新聞にて、新居浜市教育委員会・旧広瀬邸文化財調査委員会では、調査報告書を作成し、文化庁に重要文化財の指定を申請する予定であることが報じられた。
確かに明治の建築物としても特筆すべき所の多い家である。
広瀬宰平は、家を建てるにあたり当時としては斬新な設計を採り入れた。
その一つが屋根の上に設けられた避雷針。
広瀬邸にはガラスの窓が設けられている。ガラス板は当時は輸入品で貴重なものであった。歪みの残るガラス板が昔のままに使われている。
また、和室の中に洋式のマントルピース(暖炉)も設けられている。
広瀬宰平は寒がりだったそうで、このマントルピースで暖をとっていたそうだ。
二階の望煙楼の近くには、洋式のトイレが設けられている。木製の便座であるが、これも当時としては珍しいものであった。
避雷針のある広瀬邸母屋
ガラス窓(輸入した板ガラスで歪みが確認できる)
マントルピース(暖炉)
洋式トイレ
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