寿老人(中) ・鶴(左右) の三幅対 |
狩野探幽筆 | 明治27年(1894)11月、宰平の退職に際して、住友家から賜った物。 自筆箱書に「宰平老人退職致仕之日、家長住友々純公より所賜之品物」とある。 探幽(1602〜74)は、江戸時代前期の幕府御用絵師で、狩野派中興の祖。 本三幅対は、寛文6年(1666)、65歳晩年の作品である。 | 四季草花図屏風 (六曲一双) |
狩野探信画 | 四季の草花24枚を屏風仕立てにしたもの。
狩野探信は、江戸時代後期の狩野派の画家。画に堪能で、当時名手と称されたが、天保6年(1835)51歳で没した。 |
鯉ノ図 | 円山応瑞画 | 応瑞(1766〜1829)は京都円山派の創始者応挙の子。
平明で写実を旨とした同派の伝統をよく表した絵である。 |
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文政11(1828) | 1歳 | 近江国(滋賀県)の医者北脇理三郎の次男として誕生 |
天保7(1836) | 9歳 | 叔父に伴われ、別子銅山に赴き、2年間勤務 |
安政2(1855) | 28歳 | 広瀬義右衛門の夫婦養子となる |
安政6(1859) | 32歳 | 長男満正生まれる |
慶應元(1865) | 38歳 | 別子銅山支配人に就任 |
明治元(1868) | 41歳 | 別子銅山差し押さえの危機を回避する
銅山司職員として生野鉱山に出仕、同4年再出仕 |
明治2(1869) | 42歳 | 自家田畑を抵当に山銀札を発行 |
明治4(1871) | 44歳 | 神戸に製銅販売の出店設置 |
明治5(1872) | 45歳 | イギリス人から蒸気船白水丸を購入 |
明治7(1874) | 47歳 | フランスの鉱山技師ラロックを雇い入れる |
明治9(1876) | 49歳 | 別子鉱山近代化起業方針を示す |
明治10(1877) | 50歳 | 住友家総理代人(後の総理事)となる |
明治11(1878) | 51歳 | 大阪商法会議所・大阪株式取引所の設立発起人となる |
明治14(1881) | 54歳 | 関西貿易社・大阪製銅会社の設立発起人となる |
明治15(1882) | 55歳 | 住友家法を制定 |
明治17(1884) | 57歳 | 大阪商船会社を設立、初代頭取となる |
明治20(1887) | 60歳 | 住友近江製糸場を設立し、神戸支店で製茶の輸出開始 |
明治21(1888) | 61歳 | 新居浜惣開製錬所・山根製錬所操業 |
明治22(1889) | 62歳 | 幸婦人とともに欧米を巡遊、神戸に樟脳製造所を開設 |
明治23(1890) | 63歳 | 山根製錬所に製鉄係設置 |
明治24(1891) | 64歳 | 別子鉱山鉄道敷設に着手、同26年竣工 |
明治25(1892) | 65歳 | 民間人として初めて明治勲章を受勲 |
明治27(1894) | 67歳 | 住友家を依願退職、3年後、須磨に隠棲 |
大正3(1914) | 死去、享年87歳 |