広瀬邸の庭の南東側に広瀬宰平の銅像跡が残っている。
広瀬宰平銅像は、皇居前の楠公銅像と同じく、住友の依頼により東京美術大学(東京芸術大学)の高村光雲により作製されたものであったが、戦時中に供出されて台座のみが残っている。 | ||
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別子銅山の近代化に貢献した初代住友家総理人広瀬宰平翁の銅像は、明治31年(1898)3月、住友家の依頼により東京美術学校教授 高村光雲(彫刻)・岡崎雪聲(鋳造)によって制作されました。東京上野の西郷隆盛銅像や皇居前広場の楠正成銅像と、同時代の作品です。 宰平翁の古希記念を祝ったこの銅像は、かつて旧本邸の庭に立っておりましたが、昭和18年(1943)10月の戦時供出により、その存在は半世紀以上も忘れ去られていました。 生前、広瀬つぎ子氏(宰平曾孫)は、これを残念に思い、宰平銅像の復元を願われていたことを伺っておりましたが、平成13年(2001)1月、99歳で逝去されました。同年4月つぎ子氏のお別れ会で、ご令嬢の皆様から銅像の当市寄贈のお申し出がありました。 平成13年5月、広瀬歴史記念館を通じ、高村光雲の木型原型を所蔵される、東京藝術大学に御相談申し上げましたところ、全面的なご協力により、復元されることになりました。 復元に当たっては、次の方々に当時の鋳造技法などを用い、忠実に再現していただきました。 東京藝術大学美術学部 北郷 悟先生 橋本明夫先生 長澤市郎先生 井野雅文先生 野口玲一先生 奇しくも今年は、新居浜市と別子山村が合併する記念の年に当たり、宰平翁が蒔かれた別子近代化の種がここに結実したものです。宰平翁の足跡を通して、新居浜市の生い立ちと日本の近代産業の歩みに、思いを致していただければ、幸甚に存じます。 本銅像の制作に当たり、東京藝術大学・住友金属鉱山株式会社ほか、関係各位の皆様に格別なる御厚意を賜りました。 広瀬つぎ子氏の御令嬢、高木康江様・鈴木てい子様・篠田みえ子様・水上久枝様には、ご母堂様の御遺志を継ぎ、御寄贈頂けることになりました。ここに深甚なる感謝の念を表し、記文と致します。 平成15年3月吉日 新居浜市長 佐々木 龍 |