東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内銅の道


銅の道


  マイントピア別子には、仲持ち像というモニュメントがある。
 
 仲持とは、元禄4年(1691年)の別子銅山の開坑以来明治13年に牛車道が開設されるまで、奥深い銅山で精錬した粗銅や山中での生活物資(男性は45キロ、女性は30キロ)を背負って、険しい山道を運搬した人達です。

  製作1991年
  作者 阿部誠一
 

 かつては、別子の銅や生活物資が「仲持」という人の力により運ばれていた。
 その後、仲持ち輸送は牛車に代わり、鉄道や索道などに引き継がれていった。
 
 輸送の経路も、最初は東よりのコースを辿り土居町の天満浦まで運んでいた。
 
  輸送の経路や手段の変遷は概略以下のようになる。
              
仲持輸送 元禄4年(1691)〜明治13年(1880) 
牛車道 明治13年(1880)〜明治26年(1893) 
第一通洞→上部鉄道〜索道〜下部鉄道明治26年(1893)〜明治44年(1911) 
第三通洞→東平〜索道〜下部鉄道明治44年(1911)〜昭和43年(1968) 
第四通洞→端出場〜下部鉄道 昭和43年(1968)〜昭和48年(1973) 

仲持輸送
  第一次仲持道   元禄4年(1691)〜元禄15年(1702)
足谷山−弟地−芋野仲塾−小箱越−勘場平中宿−中の川−浦山 浦山=天満浦
23km  仲持
12km 牛馬
弟地仲持 180人   天満仲持 200人

  第二次仲持道  元禄15年(1702)〜寛延2年(1749)
足谷・東延−西赤石南側−雲ヶ原−西赤石と上兜山の中間−
石ヶ山丈−立川中宿
立川中宿=新居浜口屋
12km  仲持
6km 牛馬

  第三次仲持道   寛延2(1749)年〜明治13年(1880)  
足谷−銅山越−角石原−馬の背−御番所−東平−端出場−立川中宿 立川中宿=新居浜口屋
6km  仲持
6km 牛馬

  明和6(1769)年:立川仲持 360人  炭仲持 250人
    明治元年(1868):立川仲持 400人




 土居町の天満漁港。
 第一次仲持道で運ばれた銅鉱石はここから船積みされた。
 口屋跡
 
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牛車道
明治13年(1880)〜明治26年(1893)
足谷山−銅山越−角石原−石ヶ山丈−立川中宿 立川中宿=新居浜口屋
22km 牛車
6km 牛馬

 旧別子に残る牛車道


→登道

→口屋跡


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第一通洞→上部鉄道〜索道〜下部鉄道


明治26年(1893)〜明治38年(1905)
足谷山−第一通洞 −角石原 −石ヶ山丈 −打除 打除=惣開精錬所
0.5km
馬車
1,021m
牛引鉱車
5,532m
上部鉄道
1,585m
索道
10,461m
下部鉄道



明治38年(1905)〜明治44年(1911)
足谷山−第一通洞 −角石原 −石ヶ山丈 −打除 打除=惣開 惣開=四坂島精錬所
0.5km
馬車
1,021m
牛引鉱車
5,532m
上部鉄道
1,585m
索道
10,461m
下部鉄道
20km
海上輸送
        
    
 第一通洞北口
    
 角石原停車場跡
    
 別子1号機関車

上部鉄道

区間 距離 開設  廃止 軌間
角石原−石ヶ山丈 5.5 km 明治26年(1893) 明治44年(1911)
10月7日
762mm

下部鉄道

区間 距離 開設  廃止 軌間
惣開−端出場 10.5 km 明治26年(1893)
5月
昭和52年(1977)
2月1日
762mm
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