あぶのアルバム
<<前へ 次へ>>
2006/4〜
このページでは、管理人あぶのカメラがとらえた写真をアルバムとして保存しています。
もちろん転載禁止です。
 イスラム関係サイトまたは教材として使用される方は、あぶ(akira_hamanaka@yahoo.co.jp)にメールください。
解像度の高く鮮明なオリジナル画像(2240X1488ピクセルなど)を提供します。

イスラムHPのアルバムへ>>>
 
2009/11/30 室戸岬灯台
日本一の1等レンズを使用しているとのこと。確かにでかいレンズだ。ここに立つと、ほぼ360度水平線が見える。今日は曇っていたが、なかなかの景観である。
2009/10/16-19 山口県大島郡周防大島町油宇
2009/6/4〜7 マレーシアの結婚式
2009/5/24 岡山マスジド開堂。
写真はここ
2009/4/24 アラブ料理は京都のアラブレストランのシェフたち3名が担当した。
2009/4/24 高知市でアブドルカーディル師とギヌワさんの結婚式が行われた。出席者はこんなにもムスリムがいるのかといわんばかりにムスリム比率が高かった。四国のリーダー的立場にある者同士の結婚である。
 コーラン読みに始まり、アルコール類一切なし、料理はすべてハラールのアラブ料理と日本料理。
 素晴らしい結婚式だった。
2009/3/30 ムスリムの墓には三日月のマークが付けられていた。
2009/3/30 松山市御幸にあるロシア人墓地。
日露戦争の捕虜が多数松山に送られてきた。多いときは6000人居たようだ。四国=島という自然の収容施設と考えてか、捕虜達は市内を自由に行き来していたようだ。
捕虜期間中に死亡した者、移送中に死亡した者の遺体を葬ったのが、この墓地である。98柱ある。その中の何柱かはムスリムの墓である。
比率的に見て、6000人の捕虜のうち約200人くらいはムスリムだったのではないだろうか?そんなに沢山のムスリムがこの町にいた時期があるのなら、日々の礼拝が行われていたのではないかと想像できる。
2009/2/21 マラッカ旅行。明の艦隊を率いて東南アジア・南アジア・アラブ・東アフリカなどを航海したアブドッサブール(三宝)鄭和。実は、マレーシアにイスラムを広めた立役者パラメスワラ王の後ろ盾となっていた。
 このパラメスワラ王と鄭和の関係こそが、イスラム史を塗り替えることになった。その舞台は、マラッカ。
写真集はここ
2009/2/15 新居浜グローバルパーティー。写真はインドネシア人たち。昨年からの経済悪化により、100人以上いた新居浜・西条地区のインドネシア人は激減し、松山・今治から駆けつけてくれてもこれだけの数しかいなくなった。
 日・インドネシア経済連携協定に基づくインドネシア人看護師・介護福祉士候補者の受入れよって一人だけ新居浜に来たが、キリスト教徒だった。ただ、メンバーの中に溶け込んでいる。
 受入れ先の介護施設は、まず施設長がマスジドに挨拶に来てくれた。マスジドを頼ってきてくれたのはありがたい。彼女の状況は各方面から刻々と私に報告されている。
 そういえば100人以上のインドネシア人が居た時も、2,3人のキリスト教徒が居り、いつも礼拝時のカメラマンをしてくれていた。インドネシア人キリスト教徒にとっては、キリスト教会とのかかわりよりは頼りになるインドネシア人が関わるイスラムなのかもしれない。
2009/2/12 大塚マスジドのクルアーン暗記クラス。
大塚マスジドの活動は活発だ。マスジドの隣に保育園はあるし、マスジドではこういった勉強会を定期的に行っている。このクルアーン暗記クラスの子供たちは、クルアーンのかなりの部分を覚えている。同じ時刻、3回ではイマームによるアラビア語教室もやっていた。
2009/2/11 第1回モスク代表者会議 於:早稲田大学。 詳細と写真はここ
2009/1/3 完成間近の福岡マスジドと、鹿児島本線。ベールを脱げば立派なマスジドの姿があらわれるだろう。
2008/10/18 今の日本を作った多くの若者が集った松下村塾(しょうかそんじゅく)。こんな小さな小屋だったんだ。
2008/10/17 日本海に沈みゆく太陽。
石見海浜公園。
ずっと行ってみたかった萩・津和野の旅の中で、この写真も撮りたかったのだ。
2008/7/4-7 ソウル中央マスジド写真
2008/6 徳島マスジドは四国最大のマスジドとして今春開堂。毎日5回の礼拝に人々が集まる。写真は、イシャー礼拝後の勉強会。
2007/12/20 今年開堂した札幌マスジドでは初のイードルアドハーの礼拝が行われた。モスクは超満員の盛況であり、イードの喜びに加えて、自分たちの城で礼拝ができる喜びも一緒に噛みしめていた。
<<前へ 次へ>>