マレーシアの結婚式(Majlis Perkahwinan di Kota Bharu)
於: Kampung Kedai Buloh
2009年6月5日、6日
 若い頃シンガポール在留時代には結婚式に出席していたものの、留学先マレーシアでは結婚式に出席する機会があまりなかったため、マレーシアの結婚式はじっくり見てみたいと思っていた。新居浜マスジド建設時、常にそばに居て支えてくれたマレーシア人女子留学生ノールハヤーティー(以降呼称ヤティ)が卒業しマレーシアに帰国。それから2年たって彼女からの吉報が届いた。折も折、マレーシア航空が片道1万円という超破格の航空券キャンペーンを発表した。渡りに船とはこのこと、すぐにマレーシア行きを決めた。
 結婚式は、6月4日(木)夜に結婚契約式(Aqd un-Nika:h)、6月5日(金)に新婦側での披露宴、6月7日(日)は新郎側での披露宴というスケジュールであった。全部出席するのもどうかと思い、6月4日(木)、5日(金)に出席するように切符を手配した。ちなみに、彼女の住むクランタン州(Kelantan)では金曜日が休みである。そして、土曜日が国王誕生日の祝日、さらに6月の最初の2週間は、学校の長期休暇にもあたり、雨の少ない6月ということもあり、結婚式シーズンである。
 写真を見ながら説明していこう。
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2009年6月4日(木曜日)夜
ホテルの窓からコタバル市内を臨む この地図はコタバル市とその郊外の地図。結婚契約と新婦側の披露宴はAのKedai Buloh村の新婦宅で行われた。7日の新郎側の披露宴はBのKetereh町で行われる。直線距離で25キロほど離れた新郎新婦宅である。
6月4日夕方、Kedai Buloh村のヤティ宅に到着し、日本から預かってきたプレゼントを渡す。新婦はまだ普段着で、手にINAI(ヘンナ)をつけて乾かしている最中だった。 庭に特設会場の設営中。弟たちと近所の男たちの役割である。弟に指示を出すヤティ。
マスジドでイシャーの礼拝を終えて、父親と近所の男性がやってきた。この場所で結婚契約式が行われる。食事を食べながら、イマームの到着を待つことになった。 同じ時刻、ヤティは結婚契約式用の衣装に着替え、化粧もばっちり。
準備完了。長女ヤティの晴れ舞台の前だ。家族全員で記念撮影。 近所の子供たちも集まってくる。
新郎と新郎の家族が到着。新郎は別室で準備。 家の下では、料理の準備を進めている。
村のイマームが到着した。結婚式シーズンでイマームは大忙しだ。ヤティ宅が3軒目だという。出迎える新婦の父親と最初に集まったご近所の男性。 結婚契約式が始まった。イスラムの結婚契約式の条件は、
1、新郎(ハフィズ君)。3、新婦(ヤティ)。3、ワリ(ヤティの父親)。4、証人2名。5、結婚契約(Aqd an-Nika:h)である。
 すべてそろい、後はAqd an-Nika:hであるワリからのIja:bと新郎からのQabulが終われば成立する。
女性に囲まれ結婚契約式を見守るヤティ。 進行役のイマームが、新郎からQabulの言葉を聞き、証人2名の証言を聞き、結婚契約は成立した。
最後は全員でドア(祈り)をあげる。 幸せを祈るヤティ。妻としての第一歩である。
イマームを送り出す。 イマームが居なくなって、みんなに囲まれて指輪交換。ふたりから満面の笑みがこぼれる。
新郎新婦を中心にヤティの両親と祖父母。 新郎も同席し、参加した親戚縁者近所の方みんなと食事。
女性は女性の円陣で食事。立っているのは給仕係の家族。 寝室で新郎新婦で撮影。初夜を迎えるのかと思えば、実は新郎はあすの準備のために帰宅することになっていた。あすは披露宴だ。
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