周防大島町 油宇 写真集その1
(旧東和町油宇)
 この写真は2009年10月16日〜19日にかけて、帰省中に撮影したものだ。この集落は北に山、南に海に挟まれた猫の額ほどの土地に家屋がひしめき合っているのが特徴だ。しかし、年々過疎化と高齢化が進み、様変わりしつつある。昔から若者たちは働き口を探し山口県内、広島や松山へとふるさとを後にしている。でも、お盆や正月にはふるさとに戻ってくる。その時ばかりは集落の人口は膨れ上がる。以前テレビ番組で日本で最も高齢化が進んでいる町ということで旧東和町が紹介されていたくらいだ。
 自分のふるさとはどうなっているのだろうか?写真で見てみたいという油宇をふるさとに持つ人たちは多いと思う。それで今回は、2009年現在の油宇の写真を撮ってホームページに掲載してみた。
 私は幼少時代ここに育ち、以後も学生時代はよく帰省していたが、ここ15年ほど全く帰省していなかった。当時の記憶が鮮明にのこっているだけに、その変貌ぶりを痛感しながら撮影していった。

 
油宇保育園。私は幼少期ここに通っていた。児童数は聞いていないが、列をつくって歩いていたのを数えると幼児も含め16人であった。 神社の鳥居、1991年12月に新しいものになる。
神社の階段。昔は遊び場としていた神社前から撮影。長い階段というイメージを持っていたが、意外と短い階段だった。 神社の本殿。
昔から変わらぬ油宇公民館 鳥居の前から東向いて撮影。空き地は以前農協があった場所。
灯篭。左の道は神社へ右の道は商店街へと続く。 灯篭前の波頭から西を臨む
波頭からだき山、灯篭を臨む。 灯篭前の波頭から東を臨む。
神社の鳥居への道。 松山−伊保田−柳井航路の防予汽船フェリー。伊保田港:油宇への玄関口。
油宇全景。箱庭のようなこの光景を畑に行くたびに見ていた。ポンポン船の音、夕餉の支度で上る煙、鏡のような海、静寂、アッラーのお蔭で人々は安らぎの空間を与えられている。私のイスラム信仰の第一歩はこの景色であった。 油宇全景
西の港と灯篭のある中央部 東の鯛崎
灯篭から東の道。 海岸通りを東向きに
このように1m幅の道が多い ソーラー発電施設
東の海岸前の埋立て地 街角
埋立地で釣りを楽しむ人 波頭から埋立地を臨む。
埋立地に繋がれた。。。 東の港
東の港 埋立地から西を臨む
東の港 東の港の前から集落の中心に向う道。
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