マラッカ訪問(Melaka, Malaysia)
20,21/2/2009
Melaka, Malaysia
途中トランジットしたコタキナバル空港の看板。『Bilik Solat お祈りの部屋』と日本語で書いていたので、シャッターを切った。マレーシアの空港はどこでもSurau(ムサッラー)があり、やすらぎのひとときを提供してくれる場所である。 ホテルの窓からみた王宮。ホテル・エクアトリアルより撮影
一番最初に会いに来たのは三宝公寺院にある鄭和アブドッサボールの像である。なぜ寺院かも不思議だが、三宝(サボール)の像が無造作に寺院の隅に放置されているのも意外だった。「え〜、こんなところに」「彼の偉大な功績がこの寺院にとっては雨ざらしの庭の片隅かよ」と疑いたくなる。さらに小さい像だった。 三宝公の入り口。鄭和の像は門を入って左の壁にある。
線香や蝋燭を売っている管理者に「この寺は何を奉っているのか聞いてみれば、マレーシアの華人がいつも拝んでいるのとおなじ、大伯公(トペコン)。
三宝公の右には、スルタンの井戸への石畳の道がある。 この井戸は、スルタン・マンソール・シャーが中国から輿入れしてきたリー・ポー妃のために掘らせた井戸で、スルタンの井戸またはハン・リー・ポーの井戸と呼ばれいる。枯れることのない井戸で、それ以後マラッカの歴史と共にずっとある。
当時のものではないが、スルタンの館、現在は博物館として使用されている。 蝋人形でできたスルタン(中央)と、謁見する鄭和(右側の最前列でスルタンに一礼をしている)。歴史的瞬間がこの蝋人形に再現されている。
セント・ポールの丘への入り口 フランシスコ・ザビエルとセント・ポール教会。ザビエルはここに居を構えた時期があり、1549年にはこの地から日本に向けて出発した。
このエリアは博物館が多い。ここはイスラム博物館で、マラッカ独特の様式のマスジドの写真、模型などが展示されている。鄭和の時代の中国書道のコーラン一節もあった。 マラッカ川の河口。昔はここに世界中の船が入港してきた。
マラッカ川の川上りクルーズで、マレー・カンポンを撮影。
船からフランシスコ・ザビエル教会を撮影。この教会は名前こそザビエルだが、ザビエルとは関係ない。ザビエルが居たのは丘の上のセント・ポール教会である。 45分間のマラッカ川クルーズ終了です。なかなかよかった。
観光名所 オランダ広場 Masjid Kampung Hulu 1728年建立の現存するマレーシア最古のマスジド。
Masjid Kampung Huluの入り口の上には太鼓。 Masjid Kampung Keling 1748年
Masjid Kampung Keling内部。ここでズフルの礼拝をすることが今回の重要なポイントだ。 Masjid Kampung Kelingの水場。
Masjid Kampung Kelingにはひっきりなしに観光客が来る。 北側から撮影
スタダイスにある鄭和資料館入り口に立つ像。三宝公寺院にある像を大きくしたもののようだ。 資料館は多数の鄭和に関する展示があった。しかし、最近『鄭和文化博物館(Cheng Ho Cultural Museum)』が川を渡ったMasjid Kampung Huluの近くに開館し、もっと多数の展示があるそうだ。私の持っていた観光ガイドが少し古いもので掲載されてなかったのだ。残念。
サンチャゴ砦。1511年ポルトガルが築いたもの。丘を取り囲む要塞の門。 クアラルンプルにやって来た。突然、バドミントンの国民的英雄ミスボン・シデクが奥さんを伴って、ホテルにやってきた。"Sinar Latifah"と題してマスコミが奥さんのために腎移植の募金を行ってくれてたラティーファだ。また、私が電話の度にミスボンには、まず奥さんの健康を聞くくらいいつも気に掛けてる人でもある。今回元気な顔を見せてくれ、嬉しかった。話がはずみ夜中まで話してしまった。
左からラティーファ、ミスボン、そして日本人3人。
 クアラルンプルではバドミントンのナショナルチーム、マレーシアバドミントン協会、国際バドミントン連盟など、バドミントン関係を訪問した。そして、シャアラムのPKNSに何回か行きイスラム書籍などを探し、あっという間に私のマレーシア滞在が終わり、クアラルンプルを後にした。