タイトル | : Re^4: トルコ式の暦について |
投稿日 | : 2008/10/07(Tue) 23:29 |
投稿者 | : Memon <memon3@hotmail.com> |
> ここは日本なのに日本人が主体になってイスラムが運営されていない事にもあるのではないでしょうか?
確かにそうです。でも、日本人ムスリムの数はまだ少なすぎて、主体になれる程ではないからです。
> むしろトルコ以外の国がひとつの方法にまとまっている事のほうが奇跡的で、大変恵まれているのだと言えそうです。
確かに、それはいえている。
> 私がするドアーは早く日本人の社会にウンマガできて逆に外国から来ているムスリムをもてなせるようになる事です。
アーミーン。
> それとジュマの言葉も日本語で行うべきです。
それは当分無理でしょう。なぜかと言うと、
> モスクに来ている人、みんながわかる言葉でするべき。
ですから、ウルドゥー語が分かる人が多いマスジドではウルドゥー語で、タミル語ができる人が多いマスジドではタミル語で行われています。それはそれで良いのではないでしょうか。
> 日本に住んでいる以上、何人だって日本語で生活しているのですからそれが公平です。
確かに日本語ができる人が多いです。でも、そのレベルはまちまちです。日本語で説教しても殆どが理解できない状況では無意味でしょう。それに、日本語で説教できるアアリムやイマームは日本に何人いますか。数人しかいないでしょう。
日本ではイスラムの勉強や説教等が日本語で行われることは理想的でしょう。でも、現実的ではありません。
「ここは日本だから」と言う言葉を強調しすぎるのも一種の差別だと思います。イスラム教は世界中の宗教です。クルアーンやサラートの言語であるアラビア語も強制されていないのに、日本だからと言って日本語を強制するのもどうかなと思います。
サラート事態がアラビア語ですが、その説明や宗教的な演説などは「話す人」と「聞く人」の共通言語に行われるべきです。