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タイトルトルコ式の暦について
記事No950
投稿日: 2008/10/03(Fri) 19:13
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>
一応意見があるのですが

タイトルRe: トルコ式の暦について
記事No951
投稿日: 2008/10/03(Fri) 19:27
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>
東京ジャーミーに限らず日本国内でトルコ人がトルコ式の暦を使っているのは問題が少しあります。
岐阜市にはもともとモスクがありました。この岐阜第一モスクは主にトルコ人が主体で運営しているモスクで、イードや、ラマザーンの開始はトルコ式で行われています。しかし来訪するムスリムはトルコ人だけではなく、パキスタン人などもいます。去年も断食明けがトルコ式の日時で行われ、トルコ人がご馳走を食べる中、パキスタンなどの他のイスラム諸国の人は断食を続行するといういびつな形になったようです。(今年はまだ聞いていませんが)トルコ人にも信仰の自由はあるのですから、彼らが独自の暦を採用するのは結構なのですが、それを自宅でやってもらうのはかまいませんがモスクでされると困るわけです。モスクに来るのはトルコ人だけではないのですから。トルコ人が「イードなのにパキスタン人はまだ断食をしている」と文句を言っているのを聞いたこともありますし、パキスタン人にしてみればトルコの暦を押しつけられても困るわけです。主にパキスタンの人たちによって岐阜第二モスクが建てられた遠因でもあると思います。私の町のムッサラーでも、今年のラマザーンの開始はおおいにもめました。トルコではいつラマザーンが開始するかあらかじめ決まっていたらしく、トルコ人の先生がラマザ−ン開始のお祈りを始めようとする中、「待ってくれ」とスリランカ人たちが方々に電話して月が見えているかどうかを聞いている場面もありました。結局、開始はトルコ、もその他も双方同じでしたが。
宗教が同じな分、こういう所が違うのは残念です。イランのように宗派そのものが違うのならあきらめもつきますが、おなじスンニー派ハナフィー派なのにちがうのは残念です。こういう小さな違いから分裂は生じ始めます。偉い人たちに改善していってもらいたいです。

タイトルRe^2: トルコ式の暦について
記事No952
投稿日: 2008/10/03(Fri) 23:25
投稿者Memon   <memon3@hotmail.com>
アッサラーム・アライクム

暦をどのように決めるのかについてイスラム諸国は二つに分かれています。一つは伝統的なやり方で、毎月実際新月を見てから月の始まりを決定する。もう一つは科学が発展しているので新月を見ないであらかじめ科学計算で一年のカレンダーを決めるやり方です。どちらも自分のやり方が正しいと主張するし、それぞれについてファトワもあるようです。
トルコはあらかじめカレンダーを決定する方法をとっています。それについて我々はとやかく言うことはありません。向こうは向こうなりの議論があってのことですので。
トルコ政府が海外にいるトルコ人やトルコ系施設にもそのやり方を押し付けるのが問題です。
トルコで採用している暦決定方法がいい悪いのではなく、地理的にトルコから離れている人々がその国のやり方に従わないのがムスリムウンマに大きな迷惑です。ウンマが分裂される原因になります。
この掲示板でどなたか書いたように、東京ジャミイも礼拝の時間は東京に合わせています。当然のことです。日本ではまだ太陽が出ているなのにトルコに日没の時間になったからと言ってここでマグリブの礼拝行うわけがないですね。地理的に存在する地に合わせるのは当然のことです。暦もおなじです。むしろもっと大事です。
やはり同じムスリムなのに、あるグループが断食をしていて、別のグループがイードを祝っていることはどう見てもおかしいです。
こんなことが続いたら、在日トルコ人が他のムスリムから嫌われるようになりかねません。それは最悪の状態でしょう。そうならないように、ドゥアーと自分なりの努力しましょう。

タイトルRe^3: トルコ式の暦について
記事No961
投稿日: 2008/10/07(Tue) 18:58
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>
それからこういう問題が起きる原因のひとつに、ここは日本なのに日本人が主体になってイスラムが運営されていない事にもあるのではないでしょうか?他の国だったら例えイスラムが少数派の国であっても必ず現地人によるウンマがありますから、外国人はその国にいったらその国のウンマに従えばいい。しかし日本はそういうのがありませんから、外国人が自分の国のやり方を持ち込んで自由にやるしかない。むしろトルコ以外の国がひとつの方法にまとまっている事のほうが奇跡的で、大変恵まれているのだと言えそうです。私がするドアーは早く日本人の社会にウンマガできて逆に外国から来ているムスリムをもてなせるようになる事です。
それとジュマの言葉も日本語で行うべきです。それも5回のうち一回とかじゃなくてほとんど全部日本語でするのです。パキスタン人がパキスタン人のイマームを連れてきてウルドゥー語でジュマする・・インドネシア人がインドネシア語で・・・スリランカ人がタミル語で・・・そうやっていると結局、パキスタンモスク、インドネシアモスク、スリランカモスクができるだけで、イスラムが民族宗教で終わってしまう。イスラムは普遍的な世界宗教です。ここは日本ですから、モスクに来ている人、みんながわかる言葉でするべき。日本に住んでいる以上、何人だって日本語で生活しているのですからそれが公平です。別に日本語じゃなくても英語だってフランス語だっていいです。とにかく、パキスタン人もトルコ人も、スリランカ人もみんなが分かる言葉でするべき。これもウンマガ分裂する一因です。

タイトルRe^4: トルコ式の暦について
記事No963
投稿日: 2008/10/07(Tue) 23:29
投稿者Memon   <memon3@hotmail.com>
> ここは日本なのに日本人が主体になってイスラムが運営されていない事にもあるのではないでしょうか?
確かにそうです。でも、日本人ムスリムの数はまだ少なすぎて、主体になれる程ではないからです。

> むしろトルコ以外の国がひとつの方法にまとまっている事のほうが奇跡的で、大変恵まれているのだと言えそうです。
確かに、それはいえている。

> 私がするドアーは早く日本人の社会にウンマガできて逆に外国から来ているムスリムをもてなせるようになる事です。
アーミーン。

> それとジュマの言葉も日本語で行うべきです。
それは当分無理でしょう。なぜかと言うと、

> モスクに来ている人、みんながわかる言葉でするべき。
ですから、ウルドゥー語が分かる人が多いマスジドではウルドゥー語で、タミル語ができる人が多いマスジドではタミル語で行われています。それはそれで良いのではないでしょうか。

> 日本に住んでいる以上、何人だって日本語で生活しているのですからそれが公平です。
確かに日本語ができる人が多いです。でも、そのレベルはまちまちです。日本語で説教しても殆どが理解できない状況では無意味でしょう。それに、日本語で説教できるアアリムやイマームは日本に何人いますか。数人しかいないでしょう。

日本ではイスラムの勉強や説教等が日本語で行われることは理想的でしょう。でも、現実的ではありません。
「ここは日本だから」と言う言葉を強調しすぎるのも一種の差別だと思います。イスラム教は世界中の宗教です。クルアーンやサラートの言語であるアラビア語も強制されていないのに、日本だからと言って日本語を強制するのもどうかなと思います。
サラート事態がアラビア語ですが、その説明や宗教的な演説などは「話す人」と「聞く人」の共通言語に行われるべきです。

タイトルRe^5: トルコ式の暦について
記事No966
投稿日: 2008/10/08(Wed) 10:15
投稿者シンショーヴナ
済みません、いつも話題からそれた発言ばかりのシンショーヴナです。「話題から若干それた」横レスです。

> > 日本に住んでいる以上、何人だって日本語で生活しているのですからそれが公平です。
> 確かに日本語ができる人が多いです。でも、そのレベルはまちまちです。日本語で説教しても殆どが理解できない状況では無意味でしょう。それに、日本語で説教できるアアリムやイマームは日本に何人いますか。数人しかいないでしょう。

話の内容と使用される語彙の難易度(難しい専門用語か日常語か)、それを聞く在日外国人の日本語レベルの違いにもよると思うのですが、日常会話に事欠かない、冗談まで言ってのける在日外国人でも、日本人家族にイスラームを日本語で伝えることができず、日本人ムスリム・ムスリマに「私は日本語でイスラームを伝えることが出来ないので、うちの日本人家族にイスラームの話を日本語でしてください」と頼むことがよくあります。
子供は日本の学校に通学して日本語が達者でも、両親が日常会話にも不自由している、という家庭もありますから、一概に「日本にいるのだから」とは言い切れませんよね。

話題の本質とは違いますが、日本語やその他参加者の理解できる言語でフトバがされなかった時、周りのムスリムがブロークンな言葉ででも「こういうフトバだったんだよ」と、理解できなかった人に簡単に説明してくれるような、そういう優しい「きょうだい関係」が在日ムスリム(日本人も外国人も)の中で培われるような環境になるといいですね。