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旧別子案内 No 16
重任局および大山積神社跡
元禄7年(1694)大火のあと、山方の歓喜坑付近より勘場(のちの重任局と勘場を併せた鉱山事務所)がここに移され、※銅山の中心街出目度町が下方の樹林の中一帯に出現した。勘場(会計)や鉱夫の住宅・分教場・病院・郵便局・村役場・巡査駐在所や料理屋(一心楼)等が並んでいた。
重任局は明治25年(1892)に焼失し対岸の木方に移り、その跡に木方の延喜の場(現在のパノラマ台)上にあった大山積神社が移された。現在石垣の上に残る石の狛犬は当時のものであり、社殿の基礎も残っている。社殿の前には角力場があり正月の大伯祭や五月の山神祭りは大賑わいであた。社殿の左隣には住友新座敷(接待館)の跡が残っている。
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