東人の新居浜生活あかがね探訪石見銀山石見銀山(6)


石見銀山絵巻


 
 龍源寺間歩の坑内には、石見銀山絵巻の電照板が設置されている。  
 
 


 この電照板は島根県指定文化財(古文書)「石見銀山絵巻二巻」のうち上巻から坑道内作業の様子を15枚の電照板に仕立てたものです。
 
 絵巻は江戸時代の後期に描かれたもので当時の銀山山内の様子や風俗を知る上で大変貴重な巻物です。
 

 
 江戸時代の鉱山での活動の様子が描かれたもので、別子銅山では「鼓銅図録」や「別子銅山図巻」に相当するものであろう。

@四つ留之図

   坑道のことを山言葉で「間歩」とか「敷」(鋪とも書いた)、また「敷内」とか「山」とか言った。掘子大工(鉱夫)たちは鉉(つる:鉱脈)を目当てに坑道を掘り進むのである。
 坑道の入口を「四つ留」といい、丸太の木を組んで土石の落ちるのを避けて安全な入口をつくった。
 石見銀山では縦約1.8メートル、横幅1.5メートルの間歩入口に直径90センチ位の栗の丸太で四本柱を組んで四つ留とした。

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A四つ留役所之図

   四つ留役所が坑口に置かれたのは御直山(代官所直営の五ヶ山)の入口で山方掛の役人三人、同心一人、山附などの役人が詰めていて坑内の監督や見張りを行っていた。また銀掘人夫たちが鋪内(間歩の中)へ出入りするのを届けたり、鏈(くさり:銀鉱石)改め(計量)のためにこの役所へ出入りした。
 役所は四つ留口の左右に設けられ、間歩入口に向かって右側が役人詰所で、左側には鏈置場があったようである。
 江戸時代中期異母のいわゆる「五ヶ山」(永久、大久保、龍源寺、新切、新横相)と呼ばれる間歩の前には四つ留役所が設けられ昼夜厳重に出入りを取り締まっていた。

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B御代官様銀山御見廻之図

   御代官の代官所直営の五ヶ山(永久、大久保、龍源寺、新切、新横相間歩)の御用見廻りは年数回行われていたようだ。
 御用見廻りは銀山附役人四・五人と供廻りの御仲間を二・三人つれての馬での巡見であった。
 御代官御見廻りの時には鏈上がり(鉱石の採れ高)の状況や坑内の様子などを四つ留役所の役人から事情説明を受ける習わしであった。

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C四つ留役所前柄山捨場

   河岸に而男女拾ものをいたし候図
 
 山言葉で捨石のことを「柄山(がらやま)」といい、捨石(銀の含有が少ない石)を坑内から運び出す人夫のことを「柄山負」というが、この捨石を捨てる場所を「柄山捨場」と呼んでいたようだ。
 この柄山捨場に良質の鏈(鉱石)が混じっていることから山内の女や童(子供)非番の人夫たちが鏈拾い(鉱石拾い)をするようになった。

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D鋪内之図


   
 間歩坑内の図である。
 図の右側から柄山(捨て石)を荷負(背負う)って歩く人夫(柄山負)の姿や雁木という丸太梯子を用いたり、「打替」といって左右の横木を渡して踏台として歩いている姿が描かれている。つまり鉱石の運搬や坑内の支木の替え木や留木を持ち運んでいる図である。
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E 片立木留之図

 
 
片立木留之図
 横穴留山の片側土の所へ立木を建てて横木を渡す図。
 
押木留之図
 天井の土砂を留めるため木材で覆う図。
 
掘子共鏈掘図
 掘子人夫たちが鏈(鉱石)をノミで掘っているところ。
 
水鋪水取之図
 坑内の溜り水を水箱に段々と竹ポンプで吸い上げる作業の図。
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