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龍源寺間歩の坑内には、石見銀山絵巻の電照板が設置されている。
江戸時代の鉱山での活動の様子が描かれたもので、別子銅山では「鼓銅図録」や「別子銅山図巻」に相当するものであろう。 |
坑道のことを山言葉で「間歩」とか「敷」(鋪とも書いた)、また「敷内」とか「山」とか言った。掘子大工(鉱夫)たちは鉉(つる:鉱脈)を目当てに坑道を掘り進むのである。
四つ留役所が坑口に置かれたのは御直山(代官所直営の五ヶ山)の入口で山方掛の役人三人、同心一人、山附などの役人が詰めていて坑内の監督や見張りを行っていた。また銀掘人夫たちが鋪内(間歩の中)へ出入りするのを届けたり、鏈(くさり:銀鉱石)改め(計量)のためにこの役所へ出入りした。
御代官の代官所直営の五ヶ山(永久、大久保、龍源寺、新切、新横相間歩)の御用見廻りは年数回行われていたようだ。
河岸に而男女拾ものをいたし候図
