東人の新居浜生活/近郊の観光地
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市内散策(8)
旭地蔵堂
昭和通りを東に進み、市営球場の先から少し南に入ったところに旭地蔵堂がある。
明治32年の別子大水害
の犠牲者の遺体がここまで流れてきて、その霊を弔うために建てられたものであった。
地蔵堂由来之碑
この地蔵尊は昭和34年11月 当町青野熊逸氏及び伊藤繕一両氏が発起人となり 町内有志で 明治32年8月28日別子銅山の大豪雨により山津浪となり 花見谷両見谷の両部落が殆ど流出して247人の死者と多数の行方不明者を出し 現在地に夥しき人骨の埋没があり 之の供養と交通事故防止を合わせて祈願して 茲にこの碑を建立して霊を弔ふ
旭自治会が管理して居たが 旭長寿会を設立するや地蔵尊の管理及び祭典を行ひ現在に至る
昭和57年8月13日
旭長寿会
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お堂
敷島通りに沿った所に小さなお堂がある。
地図にも「お堂」としか書いてなく、詳細は不明。
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石鎚神社
敷島橋の手前(西側)の交差点を南に行った所にある。
大木の下に、鳥居と石碑が建っている。
鳥居についていたと思われる「石鎚神社」の名札が大木の根本に置かれていた。
3体の石碑には、「石鎚神社」、「天照皇大神」、「大山祇神社」と刻まれている。
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宇高薬師堂
八旛神社
の西側に宇高薬師堂がある。
新四国第78番霊場の標識が建っている。
1063年、源頼義が伊予の国守の時に、勅命により建立した8ヶ所の八幡宮と49ヶ所の薬師堂の一つといわれている。
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旧風呂屋
垣生の辺りで、入り口に「男」、「女」と温泉マークが書かれた建物を見かけた。
今は閉ざされているが、昔は風呂屋だったのだろう。
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大樽
垣生地区で、個人の家の庭に大きな樽が置かれているのを見かけた。
この辺には味噌を造っているところがあり、味噌樽として使われていたものだろう。
大樽を庭に置いて、何に使っているかは不明。
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