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小女郎狸伝説


 


 「一宮の小女郎たぬき」−「すみの 昔話と伝説」から−
 
 別子ラインの奥の小女郎川のほとりに、一匹の女狸が生まれました。
 その姿や顔は、自然の景勝地にふさわしく優美でした。それに生まれつき神童でした。7,8歳に長じて、数多い仲間から選ばれて、金子の一宮の神さまの神使になりました。神さまは、小女郎川の生まれだから小女郎たぬきと名付けられ、境内で一番大きい楠の木に住居を定められました。小女郎たぬきは郷里のたぬきに恥じないように一心に狸術の勉学につとめたので、新居浜一番のたぬきになりました。
 しかし、彼女は心優しく友達に親しみ愛されました。彼女は慈眼寺の和尚を敬愛し、その学術を学び、ここに神仏両道にすぐれました。小女郎たぬきは地方一の名声にかかわらず京都・奈良・大阪に出て修行をしたく思い、悪いとは知りつつ慈眼寺の和尚に化けました。
 そこは彼女のこと、ぬかることないので船頭たちは信用して船に乗らせてくれました。このまま一晩すれば、あこがれの京阪地方に無事に着く予定でした。 
 しかし、天才狸にも弱い弱点がありました。この船は、京阪地方に桜鯛を運ぶので、船底にいっぱい鯛を積んでいました。また、都合の悪いことには、彼女は鯛が大好物でした。あの味を思いだし一匹だけ失敬しようと手をつけました。一匹と思いつつ2匹、3匹と数が増え、彼女の腹の皮がふくれはじめるにつけ、まぶたはゆるむ、少しの狸寝入りが本当に寝入ってしまい、大阪に着いたのも露知らず、スヤスヤ寝入り、姿も狸になっていました。 
 船頭らは、「こやつ! 小女郎だ。たぬき汁にしてやれ。」と、いためつけました。
 そこへ本物の慈眼寺の和尚が、別船に乗り合わせて助けてくれました。また、和尚の紹介で小女郎たぬきは寿座で文福茶釜の芸をしました。美人で、芸達者で、大入満員で大もうけで、鯛代も支払い、寺社へ寄付し罪滅ぼしをしました。
 その後の彼女は、多くの善行をしたと伝えられています。 

 

 国指定天然記念物、一番樟、樹齢千年。

 
   
西町には、小女郎狸が人間に化けたときの像がある。
 
 
 
 若宮神社には、小女郎狸の妹の「お六狸」の話が伝えられている。
 
新居浜のむかしばなし(平成元年2月「新居浜のむかしばなし」編集委員会編 新居浜市教育委員会 発行)より
 

 昔、立川の奥の小女郎谷に一匹のめダヌキがいて、夕方になると美しい娘に化けるので、人々は小女郎狸と呼んでいた。
 
 小女郎狸は神通力をもっていたので、一宮神社の神さまに見込まれて、眷属(お使いもの)として抱えられ、 一宮の森に移ってきた。
 平素はおとなしく神主さまのいいつけを守り、お気に入りになってかわいがられていた。
 ある夏、 一人の漁師が一匹の初タイを奉納した。神主はお供えした魚を台所に置いていた。 これをクスの木のほこらにいた小女郎狸が、神主のいない間に取って食べた。
 夕方になって神主が知り、たいへん立腹して、「タィなど盗むような奴は眷属の資格がないから、今日かぎり一宮の森から追放する。」と追い出された。
 困った小女郎狸は、慈限寺の和尚に化け「大阪に行きたいのだが、この船に便乗させてほしい。」と船頭に乗せてもらった。
 何日もの船旅で、腹のへつた小女郎狸は、積荷のタイをごちそうになった。船頭に正体を見披られ、おわびをし「私は一宮の森の小女郎狸ですヽ神主さんに追い出され、大阪ヘ行く途中また悪いことをしました。罪ほろばしに、黄金の茶釜に化けて損を取り返します。」と、茶釜に化けて、古道具屋に高く買ってもらった。
 道具屋は、金の茶釜を大切にしていたが、ある日、よくよく見ようと、えんがわへもち出したときに、茶釜を取り落した。庭のすみに落ちたはずなのにどうしても見えなくなってしまった。
 
 小女郎は、日の暮れるのを待つて、きれいな娘に化けて庭から抜け出し、大阪の町を道頓堀、千日前と歩いた。道行く人は「なんて、きれいな嬢はんやこと。」「ほんま、どこの娘はんでっしゃろ。」と立ち止まり、ふり返って見るので、気をよくした小女郎は夜中まで歩きまわったが、行き先がない身で、友達のいるしのだの森を訪ね、長くその森にすむことになった。
 
 小女郎も出るとよ今日の神迎  樟抜

  (庄内 伊予路の歴史と伝説・愛嬢の伝説 合田正良抜粋)
 
 
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