東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内旧別子牛車道〜大和間符

牛車道

   
 歓喜坑から少し上がった所で、道が二手に分かれる。
 
 銅山峰に直接向かう急峻な道と、迂回して大和間歩を経由して銅山峰に続く緩やかな道がある。
 この、やや緩やかな登山道が牛車道である。

 かつて、旧別子から銅山越を越え、立川を経て新居浜口屋までの物資輸送路であった。
 
 この牛車道は、広瀬宰平の元に雇われたフランスの鉱山技師ラロックの提案によるものであるが、ラロックの設計では 約53kmにもわたる長大なものであった。
 広瀬宰平は、ラロックの案から迂回路を廃し、勾配を急にして 約28km のものとして、明治9年に車道の敷設工事に着手したという。
 


   この付近の牛車道には、ボーリングのコアが多数落ちている。
 持ち帰って文鎮として使っている人も多いという。
 

 
【No 20】 大和間符

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大和間符

 牛車道の途中で銅鉱石の露頭が確認できる。
 

 
   
 その近くに、古い坑口である大和間符の跡がある。
 初期の坑道は狭い構造であったことがわかる。
 

旧別子案内 No 20
大和間符

 
 元禄時代の古い坑道の跡で、人一人がやっと通れる位のせまいものである。
 元禄8年(1695)、ここと立川銅山(別子開坑の60年位前から稼働していた嶺北角石原側の銅山で、当時西条領であった)の大黒間符が偶然に貫通し、境界争いとなって紛糾した。
 のち、立川銅山は経営不振から、宝暦12年(1762)になって別子銅山に吸収合併され、住友家の経営に移った。ここから牛車道に沿ってしばらくの間は、道の山側に銅の露頭が表れている。
 牛車道を別れて西へ、沢をつめる小道は笹ヶ峰への縦走路である。
 
【No 21】 銅山越

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