観音堂 |
御茶屋岩清水 |
明治の初め、観音堂にとても頭のよい坊さんがおりました。お説教もじょうずなので、お参りに来る人が次々と増えてきました。 そしてこの観音堂のご本尊様は秘仏で、とても御利益があるという評判が広がりました。 またお坊さんのいうのには、「昔から、病は気からといわれているとおり、観音堂へお参りに行って、病気が治った治ったと人の前でいっていると、自然に病気が治るのですよ」とみんなにいいました。 ですから病気の人も治った治ったといいふらしました。 したがって観音堂へお参りに行った人はみんな治ったことになったのです。 また観音堂ではおおぜい寄り集まって、お経を唱えていると、正面の御本尊様の前の御簾がじわりじわりと上がり、御本尊様の御姿が現れてきます。 しばらくすると、また御簾が自然に下がります。当時は大評判となりました。 病気になると、西の土居のお茶屋の観音堂へ行き、おがんでいると御簾が上がって御本尊様が現れる。そしてお願いをして、家に帰って病気が治った治った、といっておれば病気が必ず治る・・・・ということになり、毎日つぎからつぎへと聞いた人がお参りにきて大繁盛しました。 また、御簾が上がるのは、浪珍という臨時にやとった小僧さんが、床の下で紐を引っぱっていたのだそうです。 以上はお茶屋観音堂にまつわる話です。 |
帳閉る加勢もせずに旅寝とは
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観音堂入り口の「御茶屋 おたぬき地蔵」
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明治初めのお話です。百姓仕事もひまになった冬の初め、西の土居の若い衆がお茶屋谷へ毎日たきぎを採りに行っておりました。ところが木の枝に掛けていたおべんとうがよくなくなるのです。ある日みんなで相談して、今日は弁当泥棒をつかまえてやろうと、木の陰にかくれて待っておりますと一匹のタヌキが出てきました。そしておべんとうを取って逃げようとするところをひっ捕まえました。「このタヌキめ!!」と、みんなでかわるがわる棒でなぐっていると、とうとう死んでしまいました。すると誰かが「タヌキ汁にして今晩一杯飲もうや。」といいますと、一同は賛成してその晩タヌキ汁をつくり、お酒を飲んでドンッチャン騒ぎをしました。 ところがそのあとにたいへんなことが起こりました。翌日タヌキ汁を食べた人はみんな病気になり、またその家にも不幸なことがつぎつぎと起き、西の土居中は大騒ぎとなりました。 さっそくある所から霊能者を呼んできておがんでもらいました。すると霊能者は 「我は一宮神社の小女郎狸の曾孫狸であるぞ、よくも我を殺して食べたな、お前たちの家には七代祟ってやるから覚えておれ!!」 と大声でいうのです。 みんなすっかり驚いて恐ろしくなり、「どんな償いでもするからどうかお許しください。」と、あやまりました。そしてお寺の坊さんにお願いして狸の供養を丁重にしました。それからみんな病気もよくなりました。 この話は西の土居町にあったほんとうの話です。 |
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