タイトル | : Re^3: カドゥルの夜 |
投稿日 | : 2009/09/25(Fri) 22:02 |
投稿者 | : moiz <moizddin@gmail.com> |
拝見しました。
ありがとうございます。
以下、リンク先の記事を読み理解したことや小生の知り得ていることを元に
匿名さんの最初のご質問(No.2009)にお答えします。
> すべてはすでに決定済みなのではないのですか?
半分は正しいのですが、カダルについてここで確認する必要があります。
カダル(運命、天命)というのは確かに定められていますが、
実際のカダルは鏡のようにその人の意志や意図、行動を映し出すものです。
その人がどちらへ進むかによって、映し出される景色も変化します。
> カドゥルの夜に一年分の全ての物事が決定されるとはどういうことですか?
これは小生にもよく分かりません。初めて聞く言葉でしたので、リンク先を
興味深く読みましたが典拠や註釈が明らかにされていませんでした。
ライラト・アル=カドゥルが「千の月にも優る」というのはコーランにもあります。
ですがなぜ「千の月にも優る」のか?については、実はきちんとした定説がありません。
色々な学者が色々なことを仰っていますが、どれも決定的とはされていません。
とは言うものの、それでは説明にならないので少し話を続けさせて下さい。
多くの説の中でも一番多く言われているのは、この夜に罪を悔い改めると
神の赦しがある、というものです。
(ここで注意して頂きたいのは、罪を悔い改めるというのは、悪い事をしても
何でも神が赦してくれるというのではありません。誰かに迷惑や被害を与えたのなら
まずはその相手に償いをし、許してもらう必要があります)
ライラト・アル=カドゥルとは預言者ムハンマドが最初の啓示を受け取った夜です。
その頃の預言者は、洞窟に籠って多くの時間を瞑想して過ごしました。
その結果として啓示を受け取り、宗教に関する知識を受け取りました。
「罪が赦される」というのは、こうした故事や預言者の言葉を集めたもの
(ハディース)にちなんで導かれた解釈です。
赦しを求めるなら、まずはそれを与えて下さる神を求めることになります。
神と、神の下された宗教を求めることになります。
「ゆるしてもらえたらラッキーだなあ」と、ぼんやり空想することと、
真剣に求めることには大きな違いがあります。
預言者がかつてそうしたのと同じぐらい、真剣に宗教や信仰に関する知識を求めれば、
それはその人を自ずから深い内省へと導くことになります。
自然と、悔い改めの気持ちが沸いてきます。後はただ感謝して生きることになります。
(かなり省略した説明になりましたが、いずれにしてもこのような人の心の流れや
働きそのものが、まさしく「神の恩恵」であります)
このようにして新たに得た信仰を、新たな生き方の出発点とすれば、それ以降の
「一年分の全ての物事が決定される」というのも、間違いであるとばかりも
言えないかもしれません。
ご質問の答えになっているでしょうか。
小生の知識不足もあり、ものすごく下手な説明になりすみません。
> お返事ありがとうございます。
> URLは下記の通りです。
> よろしくおねがいします。
>
> http://www.islamhouse.com/p/56136