ライラト・アル=カドゥルはその年の全ての物事が公正に決定され、生きるための糧や寿命やその年の様々な出来事などが定められる、非常に意義深い1晩のことです。上記イスラームハウスからの引用ですが、意味がわかりません。すべてはすでに決定済みなのではないのですか?カドゥルの夜に一年分の全ての物事が決定されるとはどういうことですか?
匿名さんご指摘の通り少し不思議に感じました。全文を読みたいのですが、引用先のurlが分からないのでこれをご覧になっていたら貼付けて頂けると助かります。> すべてはすでに決定済みなのではないのですか?ご質問とは少し逸れるかも知れませんが、これは少し違います。神の創造は1回だけではありません。> ライラト・アル=カドゥルはその年の全ての物事が公正に決定され、生きるための糧や寿命やその年の様々な出来事などが定められる、非常に意義深い1晩のことです。> > > 上記イスラームハウスからの引用ですが、意味がわかりません。> すべてはすでに決定済みなのではないのですか?> > カドゥルの夜に一年分の全ての物事が決定されるとはどういうことですか?
お返事ありがとうございます。URLは下記の通りです。よろしくおねがいします。http://www.islamhouse.com/p/56136
拝見しました。ありがとうございます。以下、リンク先の記事を読み理解したことや小生の知り得ていることを元に匿名さんの最初のご質問(No.2009)にお答えします。> すべてはすでに決定済みなのではないのですか?半分は正しいのですが、カダルについてここで確認する必要があります。カダル(運命、天命)というのは確かに定められていますが、実際のカダルは鏡のようにその人の意志や意図、行動を映し出すものです。その人がどちらへ進むかによって、映し出される景色も変化します。> カドゥルの夜に一年分の全ての物事が決定されるとはどういうことですか?これは小生にもよく分かりません。初めて聞く言葉でしたので、リンク先を興味深く読みましたが典拠や註釈が明らかにされていませんでした。ライラト・アル=カドゥルが「千の月にも優る」というのはコーランにもあります。ですがなぜ「千の月にも優る」のか?については、実はきちんとした定説がありません。色々な学者が色々なことを仰っていますが、どれも決定的とはされていません。とは言うものの、それでは説明にならないので少し話を続けさせて下さい。多くの説の中でも一番多く言われているのは、この夜に罪を悔い改めると神の赦しがある、というものです。(ここで注意して頂きたいのは、罪を悔い改めるというのは、悪い事をしても何でも神が赦してくれるというのではありません。誰かに迷惑や被害を与えたのならまずはその相手に償いをし、許してもらう必要があります)ライラト・アル=カドゥルとは預言者ムハンマドが最初の啓示を受け取った夜です。その頃の預言者は、洞窟に籠って多くの時間を瞑想して過ごしました。その結果として啓示を受け取り、宗教に関する知識を受け取りました。「罪が赦される」というのは、こうした故事や預言者の言葉を集めたもの(ハディース)にちなんで導かれた解釈です。赦しを求めるなら、まずはそれを与えて下さる神を求めることになります。神と、神の下された宗教を求めることになります。「ゆるしてもらえたらラッキーだなあ」と、ぼんやり空想することと、真剣に求めることには大きな違いがあります。預言者がかつてそうしたのと同じぐらい、真剣に宗教や信仰に関する知識を求めれば、それはその人を自ずから深い内省へと導くことになります。自然と、悔い改めの気持ちが沸いてきます。後はただ感謝して生きることになります。(かなり省略した説明になりましたが、いずれにしてもこのような人の心の流れや働きそのものが、まさしく「神の恩恵」であります)このようにして新たに得た信仰を、新たな生き方の出発点とすれば、それ以降の「一年分の全ての物事が決定される」というのも、間違いであるとばかりも言えないかもしれません。ご質問の答えになっているでしょうか。小生の知識不足もあり、ものすごく下手な説明になりすみません。> お返事ありがとうございます。> URLは下記の通りです。> よろしくおねがいします。> > http://www.islamhouse.com/p/56136
丁寧なご回答ありがとうございます。でも、まだよくわかりません。たとえば、「人がいつどこでどのように死ぬかはすでに決まっている」ことと事態がよくなるように「ドゥアーする」ことはどうやって両立するのですか?私は未だに精神的に不安定でイスラームに対する変な疑問がどんどんわいてきます。つらくてつらくて、早く寿命が来て欲しいと、そればかり考えています。
>私は未だに精神的に不安定でイスラームに対する変な疑問がどんどんわいてきます。あなたの質問は、根本が全て同じだと思います。アッラーと人間集団、ものさし(基準)の話です。私があなたの判断力を試すために質問をします。騙すほうと騙されるほう、どちらが悪いですか?もう一つはWikipediaの無神論からの引用です。全知全能の神が存在するなら、その神は「全知全能の神が知らない物」(あるいは「全知全能の神が持ち上げられない大きさの岩」)を作れるか?
ご回答ありがとうございます。申し訳ありませんが、間違える事を恐怖しているのでご質問に答えられません。どうぞ、試さないでください。日本に住んでいると、漫然としていてはムスリムになるのがむづかしいように感じます。仏教徒の方に質問したら「仏教徒になったのは縁、偶然、環境による」とお答えになりました。世界で色々な宗教の信者がおられますが、「アッラーを信じないと地獄」という事実は私を怖がらせます。すでに無くなられた方、これからもたぶんムスリムにならなそうな方、大勢いらっしゃいます。それらの方が、その罪に対する罰として地獄に行くのは彼らの選択だったというのですよね。毎日、毎日そういう方々に親切にされ、助けられて生きていると、なんだかつらくてまともでいられなくなりますが、やはり、私がおかしいのでしょうか。よく、人の心配してないで、まず自分を何とかしろ。と怒られますが自分さえ助かれば安心。と思えません。 かといって、やっぱり自分は助かりたいのです。
>申し訳ありませんが、間違える事を恐怖しているのでご質問に答えられません。どうぞ、試さないでください。あいにく質問自体がテストです。質問に反応した瞬間に、こちらは判断できるのです。あなたの知識なら「分からないと言う、答えたけど間違えた」となるべきなのです。これらの問題の回答を拒否した場合「判断力が知的プライドで妨害されている」のかもしれません。つまり「間違いを恐れる」でなく「間違う可能性を嫌う知的プライド」が本心となる可能性があるのです。知的プライドの高い人は「人間(自分)は、正しい判断ができ、知恵がある。人間感情に反しないのは当然である。」と思うのです。そのように思うと、山ほど否定的疑問がでてくるでしょう。
匿名さん。>かといって、やっぱり自分は助かりたいのです。No.2090の投稿に、このお言葉があったのが小生は本当にとても嬉しいです。つらい状況にある方にこういうふうに言うのはもしかしたら失礼にあたるかも知れませんが。>たとえば、「人がいつどこでどのように死ぬかはすでに決まっている」ことと事態がよくなるように「ドゥアーする」ことはどうやって両立するのですか?「つらくてつらくて、早く寿命が来て欲しい」という思いと、「かといって、やっぱり自分は助かりたい」という思いの両方が匿名さんの心の中にあるのと同じような感じです。と、申し上げたら、「こんな感じかな?」とお分かりになりますか。分からなくても大丈夫ですので、あまり焦ったりしないで下さい。ところで少し話が逸れますが、小生も時々匿名さんと同じように感じることがあります。そういうときはとても苦しいときです。>私は未だに精神的に不安定でイスラームに対する変な疑問がどんどんわいてきます。少なくとも、小生は匿名さんのお考えを変な疑問とは全く思いませんでした。むしろ非常に良いポイントをついておられると感じました。ですのであまり遠慮しないで下さい。匿名さんの疑問が解決したのかどうかは分かりませんが、深く考えるきっかけを与えて下さいましたので匿名さんに感謝しています。> 丁寧なご回答ありがとうございます。> > でも、まだよくわかりません。> > たとえば、「人がいつどこでどのように死ぬかはすでに決まっている」ことと事態がよくなるように「ドゥアーする」ことはどうやって両立するのですか?> > 私は未だに精神的に不安定でイスラームに対する変な疑問がどんどんわいてきます。> > つらくてつらくて、早く寿命が来て欲しいと、そればかり考えています。
moizさん、ありがとうございます。嬉しいと言っていただいて、嬉しいです。そんなこと言われたのは初めてですので。わからなくても大丈夫。とはなかなか思えませんがそう簡単に全てが解決するわけはありませんしね。あきらめないように気をつけます。ありがとうございました。