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上仙菩薩のこと
上仙菩薩は幼名を千寿丸と呼び、奈良朝時代に一宮神社々家矢野実遠の第二子としてうまれ、仏に帰依して仏門に入り寂仙法師とも呼ばれ、石鎚、笹ヶ嶺、瓶ヶ森等の霊山を開創したことが日本霊異記、文徳実録等に記されており、又萬願寺、正法寺、善正寺、上仙寺等の名刹を開き、地方文化と産業の興隆に力を尽くした高僧であった。殊に嵯峨天皇に深いゆかりを持った人であることを文徳実録に詳記している。
上仙の帰幽後萬願寺の聖域近く墓所を作られ 矢野一族を始め地方の人々の崇敬を受けていたが昭和三十七年壬寅如月上仙の遠孫 矢野小春 その子文雄とはかり、笹ヶ嶺山麓早川よりこの碑石を採取し西条市下鳥山宮崎聖山に工を委ね万世不動の奥城を営み以て遠祖の霊を慰め永く上仙菩薩の遺徳を偲ばんとするものなり。
昭和三十七年壬寅五月五日
遠孫 矢野文雄
撰文碑石 合田臣良
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