東人の新居浜生活/近郊の観光地その他近場天満港

天満港


   県道13号線(壬生川新居浜野田線)にて新居浜から東に向かうと山道になり、山を越えると土居町になる。
 土居町に入ってから山道から下を見下ろすと港が見える。
 ここが天満の港で、現在は漁港となっているが、かつては別子銅山から産出された銅の積み出し港であった。
 元禄4年(1691)〜元禄15年(1702)の間の 第一次仲持道は、別子銅山から東を回るルートで天満港まで続いていた。
 
 元禄15年に西条藩領である立川の通行が可能となってからの第二次仲持道以降は新居浜の口屋から銅が積み出されることになったが、別子銅山の初期の積出港が天満港である。
 


大地山公園


   県道13号線(壬生川新居浜野田線)にて新居浜から土居町に入り、山道が終わった辺りに大地山公園がある。
 小さな丘陵を公園としたものであるが、木々が生長しているため見晴らしはあまり良くない。
 
 頂上には大地山遺跡という遺跡が出土したことが表示されていた。


 大地山遺跡

 昭和34年から36年にかけて、大地山開発の途中に 古墳時代後期にあたる七世紀後半のものと思われる「箱形石棺」が発見され、中央鞍部からは「平形銅剣形石剣及び石スイ(錘)が出土した。
 第一号箱形石棺は、長さ1.92米、幅35糎 深さ40糎ほどの規模で地面から0.5〜1米ぐらいの浅いところに埋められており棺内から出土品は発見できなかった。
 第二号箱形石棺は、長さ2.8米 幅55〜60糎 深さ35〜40糎の規模で 地面から1米〜1.5米ぐらいのところにうめられており なかには遺体を安定させるための敷石があり その横に長さ30糎 幅約3糎の両刃でありながら 柄に二つの目くぎ穴がある鉄剣があった 又、くさって型はなくなっていいたが 長さ60糎 幅3糎の鉄で作られた直剣のこん跡が残っていた。平形銅剣型石剣は 長さ31糎 幅5〜6糎 厚さ1糎で石墨片岩でつくられ、風化しておらず原型のまま残っている 刀身がうすいのと中央にトゲがあるのが特徴である。
 この石剣は武器としては使えず 武器を形どった祭祀器具とされている。
 石スイ(錘)は、石英絹雲母片岩でつくらており漁網のおもりに使ったもおと思われ、長さ13.5糎、幅9糎、厚さ 2糎で中央がくびれている。
 平石十数個が並べられた上に、石剣といっしょに発見された。
 これらの遺跡は、海住民族の根拠地としてひらけたことを示唆する得がたい民族資料である。
 
 ※ この墳丘は、第二号墓型石棺をこの地に移し複原埋納したものである。

 昭和57年3月5日

 土居町教育委員会