東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内/惣開小学校惣開小学校(4)

惣開小学校(4)


王子が丘

 惣開小学校には王子タイムという時間がある。
 惣開小学校の裏山は王子ヶ丘と呼ばれている。
 その王子ヶ丘に小学校のトリムコースが設けられている。王子タイムでは、このトリムコースで運動するようだ。
 

 王子が丘から見た、星越の社宅。  

王子権現

 王子が丘に小さな祠がある。 これが王子権現である。
 天正13年 (1585)の天正の陣では、この王子が丘も戦場になった。
 豊臣軍に攻められた御代島城(住友化学の工場敷地内)や名古城(磯浦の住友重機アパート付近にあったらしい)が落城後、生き残った将兵が金子城と王子山砦に立て籠もって戦ったという記録がある。
 王子権現は王子山砦の守護神であったのだろう。
 
 惣開小学校の一室に、昭和59年に作られた王子権現の説明が掲示されていた。

王子権現

 
 塩崎播磨守通兼は天文・弘治年間に今の新田町(金子乙1334番地〜1643番地)を開拓したと言い伝えられている。
 播磨守の居城は平城で名護城と呼び現在の磯浦バス停の北側住友重機の独身寮付近で磯浦名古志呂新田塩浜(新居浜字塩浜跡乙31番地〜乙102番地外5件あり)にあった。
名古志呂 = 名護城から出た地名である。

 
 天正13年秀吉の四国征伐の際落城続いて王子山砦で播磨守が戦死したと言い伝えている。
 王子山は前に王子渕という大池があり付近は湿地帯で砦の日表に王子権現を祀り難攻不落の砦であったようである。
 今年(昭和59年)は播磨守戦死の四百年祭に当たっている。