東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内市内散策市内散策(5)

坂井十郎神社

   新居浜駅の近く、ファッションハウスレーヌという店の横の道を入ったところにある。
 この神社については、「金栄ふるさと誌」(平成4年 ふるさと誌編集委員会編)に記述がある。
 由来については、曽我兄弟の兄の曽我十郎の首を家来が故郷に持ち帰る途中で埋めたという説もあるが、金子元宅の父である金子十郎元成を祀った神社のようだ。
   
  
 
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青木神社

   滝の宮公園の東側、東川を渡った辺りに祠が祀られている。
 これが青木神社(あおぎさん)で、豊臣秀吉の四国征伐(天正の陣)での戦死者を祀ったものの一つである。
 
 この神社の祭神の青木某という人は、喘息を患っていた名のある武将であった。
 激しい戦いの最中に喘息の発作が起き、敵に深手を負わされて青木神社の現在の地で亡くなったと伝えられている。
 「喘息に患ってさえいなければ・・・」という本人の無念の気持ちが残ったのであろう、後の世の人が心を込めて祈れば必ず治るという霊験をもつようになり、今でも喘息を患っている人が参拝に来るという。
 

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西瀧神社

   滝の宮町に西瀧神社がある。
 伊佐那岐大神、伊佐那美大神(国作りの神様)、熊野家御子大神(石鎚神社)、大物主大神(琴平宮)、少名彦大神(医学の神様)および 爾志勝仁命、加藤民部正之命 の計七柱を祀る神社であることが書かれていた。
 ここで、加藤民部正は天正の陣で討死した御代島城の城主である。
 
 西瀧神社の隣には「断食健康指導」の看板のある建物があり、「爾志教本部」の表札があった。ここに西瀧神社の社務所があるようだ。
 爾志勝仁命とは、この民間療法の創始者を神様としたものらしい。  
  
 
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三崎神社旧跡

 県立病院の北側、踏切を渡ったところに「三崎神社旧跡」の石碑がある。

 天正の陣で討死した近藤氏を祀る神社があったが、今は滝神社に合祀されていることが裏に書かれていた。 
 

 近藤氏は藤原氏より出 代々阿波勝浦の新居見山城主たりしが 室町時代 畑野城薦田氏を頼り西条舩形横山城主となった 天正年間近藤長門守は高峠城主 石川備中守道清の女婿となり 天正13年7月城主虎竹丸を補け宇新両郡諸城主を 指揮し 小早川の大軍と野々市原に戦い花々しく討死し その子太兵衛直信は幼 にして畑野に逃れ 後此地横水に転住し祖霊を祀りて三崎神社を創建したが明治 41年滝神社に合祀した
 
 昭和36年1月吉日 近藤一族建之  宏二撰
 発起人  近藤健一
       近藤万壽夫    
 
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黒岩橋

 国道11号線が東川に架かる橋を黒岩橋と言い、ラジオの交通情報で「新居浜の黒岩橋では渋滞1km・・・」などと報告される渋滞の名所である。
 この黒岩橋の南側、旧街道の橋も同じ黒岩橋という名前がついている。
 近くには新居浜で一番大きな小学校である中萩小学校(第三舞台主宰の鴻上尚史の出身校)がある。
 

 黒岩のいわれ
 伊予古城砦記の中に小味地村黒岩(現、大永山小味地地区)に黒岩城と呼 ばれた、城主越智信濃守道員の居城があり、治良丸は黒岩城(二の丸)の出城が あったところと言われております。     
 
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自然学習園

    東川に沿った所に、自然学習園と言われる中萩小学校の林がある。
   
 この中に「真鍋用水跡」という碑が建っていた。

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近郊の観光地/市内