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史跡石見銀山遺跡
代官所跡
(昭和44年4月14日指定 文部省指定 第198号)
石見銀山を支配した江戸幕府の代官所跡である
江戸幕府は慶長5年(1600)の関ヶ原戦の後、この地方4万8千余石、153か村を天領(江戸幕府の直轄地)とし、初めは奉行をおき、江戸中期、延宝年間から、代官に替えて、265年間を銀山の運営、管理を行った。
奉行は初代大久保石見守以来、59人に及んでいるが、その間享保年間の大飢饉を救った芋代官の名で慕われている井戸平左衛門がいる。
明治2年(1869)版籍奉還によって、ここは大森県群制廃止後は学校、保育所などに利用され現在は石見銀山史料館になっている。
代官所の建物は表門および門長屋は文化12年(1815)の建築にかかり、以後たびたび改装されていたのを昭和45年3月、国庫補助および県費補助のもとに管理団体大田市がこれを修理復原した。
史跡指定区域 2657.58平方メートル
昭和54年3月20日
大田市教育委員会
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