東人の新居浜生活あかがね探訪石見銀山石見銀山(2)

代官所跡

   大森代官所跡の停留所を降りると、駐車場や土産物屋がある。
 この駐車場には、「馬場跡」の標識が建っていた。
 駐車場から、近くの川を渡ったところに、代官所跡がある。
 
 代官所跡は、現在は石見銀山資料館となっている。
 ここから続く江戸時代の町並みの中にも、代官所に勤めていた人達の家屋というものが多数見られた。
 

代官所周辺

 石見銀山御料(徳川幕府の直轄地)48,000石の代官所は「御陣屋」とか「御役所」ともよばれていました。
 天領時代、代官所付近には銀山川を挟んで「向かい陣屋」や「中間長屋」「馬場」などがあり、南方には「御銀蔵」もありました。
 


史跡石見銀山遺跡
       代官所跡

         (昭和44年4月14日指定  文部省指定 第198号)

 
 石見銀山を支配した江戸幕府の代官所跡である
 江戸幕府は慶長5年(1600)の関ヶ原戦の後、この地方4万8千余石、153か村を天領(江戸幕府の直轄地)とし、初めは奉行をおき、江戸中期、延宝年間から、代官に替えて、265年間を銀山の運営、管理を行った。
 奉行は初代大久保石見守以来、59人に及んでいるが、その間享保年間の大飢饉を救った芋代官の名で慕われている井戸平左衛門がいる。
 明治2年(1869)版籍奉還によって、ここは大森県群制廃止後は学校、保育所などに利用され現在は石見銀山史料館になっている。
 代官所の建物は表門および門長屋は文化12年(1815)の建築にかかり、以後たびたび改装されていたのを昭和45年3月、国庫補助および県費補助のもとに管理団体大田市がこれを修理復原した。
 
 史跡指定区域 2657.58平方メートル
 昭和54年3月20日 
大田市教育委員会
 
 
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大森の町並み

 大森地区には、江戸時代の町並みが残っている。
 
 所々の建物には説明の札が立てられている。
 
 この地域の建物の窓には、虫籠窓と言われる格子が造られていた。
 
  
県指定史跡
石見銀山御料郷宿 田儀屋遺宅 青山家 
  
代官所地役人旧川島家

島根県指定史跡 
石見銀山代官所同心遺宅 柳原家
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大田市町並み交流センター


  大森の町並みの中に大田市町並み交流センターという建物があった。
 ここは、昔の裁判所であったらしい。
 


大田市町並み交流センター
(旧大森区裁判所)

 
 大森区裁判所は明治23年に開所しました。擬洋風の建物で当時をよく残しています。
 町並み資料展示
 入場無料
 (午前9時から午後4時30分まで)
 
 1.銀山や町並みの歴史と暮らしを映像でわかりやすく紹介しています。
 1.区裁判所法廷を再現しています
 1.町並み史料を展示しています
 (毎週月曜日休日の翌日・年末年始は休館いたします)
 
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