東人の新居浜生活/近郊の観光地ちょっと遠出(日帰りで行ける所)今治

今治方面


今治城
今治キリスト教会堂跡 【新着】(2004/06/24)
徳富蘆花の碑 【新着】(2004/07/05)
野間馬ハイランド 【更新】(99/04/06)
藤山健康文化公園
桜井総合公園
休暇村瀬戸内東予
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唐子浜パーク
糸山公園
タオル美術館 ASAKURA(ICHIHIRO) 【更新】(2012/07/22)
しまなみ海道 【更新】(99/08/24)
大島・伯方島・大三島
大山祇神社



  今治城

 今治城は慶長9年(1604)9月、藤堂高虎により完成された。
 藤堂高虎は関ヶ原の戦いの戦功で20万3,000石を行賞され伊予半国を領することになり、軍事上も重要であり、海陸の交通や経済発展にも便利で20万石の領国にふさわしい城郭と城下町の建設を今治の浦に選んだ。普請の開始は慶長7年(1602年)6月で、海岸近く、三重の堀をめぐらし、内濠まで海水を引き入れて、当時としては類のない平地平城を気づき、築城、開町後今治の浦を今治と改めた。
 慶長13年(1608年)高虎は伊賀と伊勢8郡を領して安濃津城へ転封となったが、養子高吉が寛永12年(1635年)9月まで今治城にいた。
 徳川家康は異父弟にあたる掛川3万石の久松定勝(後に、桑名14万石)に松平姓を名乗らせ、葵の紋章を許したが、その定勝の5男である定房が藤堂家のあと今治藩3万石に封じられ(後に1万石加増)、以降、10代にわたり松平(久松)家が今治城を治めた。
 高虎の築城以来約400年後の今日、再建に着手し、1980年10月に市制60周年記念事業として天守閣、多聞櫓、武具櫓を、1985年3月には市制70周年記念事業として、山里櫓を再建し、築城当時の勇姿を再現した。



  野間馬ハイランド

 今治市指定の文化財となっている日本在来馬の野間馬に会える公園。
 この野間馬に実際に乗馬できる試乗コーナーや牧場館、遊具なども有り、子供を連れていって遊ばせるには良い場所である。
 野間馬とは、日本在来馬の中で一番背の低い馬である。
 江戸時代に松山藩の軍馬を育てるのを野間郡(今の今治市乃万地区)の農家に委託し、背の高い馬は軍馬として引き取り、背の低い馬は農家に無料で払い下げ、農家では、この馬を農耕馬として使ったのが野間馬の始まりらしい。
 粗末な食べ物でもよく働き、丈夫でカが強い馬であったそうだ。
 明治以降、野間馬の数は減ったが、今治では「野間馬保存会」を作り、野間馬を増やして現在は約50頭ほどに成っている。
 昭和60年日本馬事協会より全国で8番日の日本在来馬に認められ、昭和63年4月には市の文化財となったそうだ。
 
JIFアニメはこちらから使わせていただきました。



  藤山健康文化公園

 今治の隣の大西町にある公園。入り口には錨のオブジェがあり、ローマの水道橋を模した橋が見える。
 中には大きな池の畔に藤山歴史資料館、広い芝生、丘の上には遊具も整備されている。