東人の新居浜生活/近郊の観光地ちょっと遠出(日帰りで行ける所)今治今治4

今治方面(4)


今治キリスト教会堂跡

 今治の港の近くに今治キリスト教会堂跡の碑があった。 
 
 この教会には、かつて、徳富蘆花も滞在していたという。

今治キリスト教会堂跡

 明治十二年九月二十一日此ノ地ニ四国最初ノ教会トシテ今治キリスト教会堂ガ設立サレマシタ。爾来此ノ地ハ今治ノ文化、産業開花ノ発祥地トナリ展開シテ行キマシタ。サラニ我ガ国ノ精神文化ニ大キナ影響ヲ与エタ横井時雄(今治キリスト教会創立者)徳富健次郎(蘆花)モコノ地ニ在住シタユカリノ人デアリマス。此ノ会堂ニハ当時米国教会カラ贈ラレタ鐘ガアリ日本三大洋鐘の一ツニ数エラレ朝ナ夕ナ打チナラサレル鐘の音は広ク今治市ニ響キ渡リ今モ多クノ人々ノナツカシムトコロデアリマス。教会堂ハ昭和二十年八月五日米軍ノ空襲ニヨリ惜シクモ焼失シ其ノ後南宝来町ニ移転シ今日ニ至ッテオリマス。
昭和四十八年十二月之ヲ建ツ
 


徳富蘆花の碑

 今治の港の前の広場を「今治港ふれあいマリン広場」という。 
 
 その、今治港ふれあいマリン広場の中に、徳富蘆花の碑がある。


伊豫の今治
今治は余に
忘られぬ追憶の
郷である
 

蘆花と今治

 徳富徳富健次郎(明治元(1868)年〜昭和2(1927)年)小説・随筆家
 熊本県水俣生まれ、徳富蘇峰の弟。明治12年夏従兄弟 今治教会牧師横井時雄(後の同志社大学総長)方に遊び 同18年3月今治を再訪。
 時雄のもとで、キリスト教指導 のかたわら今治英学校の教師として、翌年6月までの 多感な青春の一時期を過ごした。
 小説「不如帰」で 名を高め、大正7年8月にも今治を訪れた。
 今治の思い出を描いた「黒い眼と茶色の目」「富士」「思出の記」などがある。
 碑文は大正2年9月大阪から別府までの紀行文「木浦丸」の一節で、桜花の吹揚城跡・島瀬戸などをも追想している。
 
設計 丹下健三 (今治)
揮毫 村上三島  (大三島)
撰文 和田茂樹 (松山)
寄贈  今治ロータリークラブ

 昭和59年10月建之  創立五十周年記念