東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内滝の宮公園句碑句碑(3)


滝の宮公園の句碑(3)


金子片水句碑

 


天正の矢叫びを啼け時鳥 
片水
       
【裏】 施行者 西之土居 藤田登(台石の下)

【場所】忠魂塔付近から第2展望台につづく山道の途中。


 作者は、天正13年(1585)いわゆる「天正の陣」で、豊臣秀吉の命で侵攻した小早川隆景によって滅ぼされた、金子備後守元家の末裔で、没後350年祭に際し、先祖の壮烈な最期を偲んで、この句を詠んだものである。

  

松尾芭蕉句碑    

 

蕉翁之墓  名月にふもとの霧や田のくもり

【裏】 嘉永六年秋八月   発願 富山

【場所】金子山四国八十八か所下り、第六十五番 由霊山 三角寺の裏側。
 

秋山みさ子句碑

 

泉湧く元宅ゆかりの御茶屋前
         
みさこ(秋山みさ子 故郷同人)
     

【裏】秋山みさこ句碑 本名同 故郷同人
   佐野長太郎建立 佐野久子謹書
【左脇】御茶屋由来
    この付近の地名を「御茶屋」と呼ぶ。
    その水は天正の頃城下の御茶屋の在りし所と伝えられている。
    また近くにお寝間という場所も今に残っている。
    山麓からは良質の石清水が湧き出て、往時から名水として茶の湯に用いられている。
    金子城主金子備後守元宅公四百回忌
    昭和五十九年七月十三日(1984)
    御茶屋住人 佐野長太郎記
 
【場所】トリム広場入り口 弁財天境内

 

 
        

一茶句碑

 

帳閉る加勢もせずに旅寝とは
         
一茶(小林一茶)
     
 
【裏】寛政七年乙卯正月十日 新居浜騎龍亭
   平成元年師走吉日 佐野長太郎建立

【場所】トリム広場入り口 弁財天境内
 
 この句は、寛政7年(1795年)1月10日、俳匠小林一茶が讃岐から伊予松山への旅の途中、新居浜騎龍亭(東町米田屋彦三郎宅)に立ち寄った折りに、詠んだものです。
 その昔、商家では「帳祭」といって、正月11日に、その年に用いる諸帳簿を綴じて祝う習慣がありました。
 泊まった夜、米田屋では帳祭の準備で多忙でしたが、一茶は、明朝の早立ちの旅を考えて、不本意ながら手伝いもせずに早く床に就いたものと思われます。

【新居浜市広報1999年1月号より】

 
   

 

加藤光雄墓碑句碑   現地確認予定 

春あさくにい墓きずく征きし子の

柳原極堂句碑   

 老いの春晴れがましくも九一 

【裏】師の御筆収めまいらせて
   昭和三十五年正月 高橋真知子
 
【場所】慈光園 入口

【解説板】
 この句は柳原極堂先生が御逝去の年、松山の子規庵で扇面に仰臥のまま揮毫せられたもので、先生を父君のように崇拝されていた高橋真知子に贈られたもので、女史は大変感激され、自邸の庭石にすぐ彫刻、句碑となったものである。(場所は泉川町長田)
 その後本宅名古屋に転宅されるに当たり、老人を励まされる意味で当慈光園に寄贈され、極堂新居浜鶏頭会によって建立されたものである。
 なお高橋女史は旧金沢藩士の出で、すぐれた歌人・俳人・茶人であった。
 平成二年五月     本田三嶺子記

 

 
 

一茶・騎龍句碑    

寛政七年正月十日
一茶騎龍亭一泊一句 
帳閉る加勢もせずに旅寝とは  一茶三十三才

騎龍の句 四十五才

雉子鳴くやわか菜に行し縄手道

平成二年弥生 三月  高橋要 建立
 
【場所】真光寺の墓地の中。
    真光寺の山門前から山門に向かって右側の墓地に入った所で確認した。
    

 

  

滝の宮公園

新居浜市内