東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内滝の宮公園句碑句碑(2)


滝の宮公園の句碑(2)


伏見東天紅句碑

 


石投げ亭 そにに音あり 春の水    
東天紅(伏見東天紅)
     

【裏】昭和三十二年八月
   伏見東天紅翁句碑建設会
 
【場所】公園池の西側

 この句は、子供らが池で石投げに興じている様子を詠んだものです。
 投げた石が池の水面にドボンドボンと落ちる音、ポチャンポチャンと飛び散る音に、水温む春の訪れを感じる、何とも言えない心優しい暖か味のある句です。
 作者の伏見東天紅は、新居浜ホトトギス系俳壇の重鎮として、昭和前期の新居浜俳壇の黄金時代を築いたひとで、昭和42年天寿を全うされました。

【新居浜市広報1999年3月号より】

 

 

前田伍健川柳碑

 


ここの景小鳥も水も木も語り         
(前田伍健)川柳碑
     

【裏】昭和三十四年五月吉日 川柳峠社

【場所】公園広場中央

 

柳原極堂句碑

     


丙申秋 新居浜に遊びて 九十老極堂(柳原極堂)
いつまでも忘れじ秋のこの旅を   
九十老極堂(柳原極堂
      
      
【裏】昭和三十四年九月二十一日
   新居浜市柳原極堂句碑建立会 

【場所】公園広場南山際
(忠魂塔に向かって左側、東屋がある)

 

 
 この句は、わが国の俳壇の巨星・柳原極堂が90歳のときに来新された折、旅の喜びを詠んだ句です。
 極堂は、慶応3年松山に生まれ、正岡子規とは中学時代からの文友(子規の友人の分類による)。明治30年「ほととぎす」を創刊。昭和7年に上京し、「鶏頭」を創刊しましたが昭和17年に帰郷し、子規会を結成。終生子規の顕彰に尽くし、昭和32年、91歳で逝去されました。 
 

【新居浜市広報1998年11月号より】

 

無針句碑    

枯針に我爪共に供養塔


【裏】針塚建設賛同団体名 
   新居浜市 商工会議所 青年会議所 婦人会
   大正若葉会 呉服商組合 和裁士 世話会
   昭和五十七年二月吉日

 滝の宮公園の忠魂塔の裏側に、針塚、針供養塔とともに置かれている。


山本古瓢句碑

 

泉鳴里禅林の斉奉じ享く    
古瓢(山本古瓢)


【場所】公園池の北側

いずみなり ぜんりんのとき ほうじなく
俳誌「蘇鉄」の主宰者山本古瓢が昭和45年6月、山根町の瑞応寺で催された句会の折に詠んだものです。
「泉鳴里」は鹿威(ししおどし)の音、「斉」はその時頂いた食事を意味します。
静寂のうちに一段と冴える鹿威の音を聞きながら、接待される食事に感謝する心境がよく表現された句です。

【新居浜市広報1998年6月号より】

 

高橋紋々川柳碑   

ふるさとの空気は旨いものと知る

【裏】昭和四十四年十月 新居浜市文化協会建立

【場所】遊具広場の奥 
    展望台に向かう階段の脇

滝の宮公園

新居浜市内