東人の新居浜生活/近郊の観光地西条市土居構跡

土居構跡


 伊曽乃神社の北側に県指定の文化財である、土居構跡(どいかまえあと)がある。
 土居構とは、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐で焼失した高峠(高外木)城の東の館で、現在も昔のままの建築様式をとどめているという。
 
(県指定)史跡
 
 土居構跡
 
 土居構とは古い城郭の形式である此処は約六百余年の昔、新居宇摩二郡を支配した河野通直が築造したと伝えられる主峯高峠を中心に麓に加茂川の急流を統らした城塞の拠点として偉容を誇った高外木城主の平生の居館の跡である。
 時代は移って石川氏がこれに拠ったが、天正十三年(1585)の兵乱に建物等一切焼亡して僅かに石垣芝生の犬走等のみ残存している。
 寛永十九年(1642)久門政武が中野村庄屋として入居し、子孫継承して今日に至っている。
 
 寛文のはじめ建築した家屋は其の後改造を累ねながら猶旧態を保っている。書院の庭園は江戸初期民家の代表的のものとして推奨されている。
 本邸を囲む巨木老樹を含む植物群は旧時よりの居住者の生活様式を類推し得る意義深いものがある。

     昭和五十六年三月十八日
       西条市教育委員会