五七調と四八調

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Ky-179

5-7 tones and 4-8 tones

短歌は万葉以来その伝統として、五七五七七の詩型を守って来た。それは古代から中世の日本語がその詩型に合致していたからである。現在でも古語で短歌を詠もうとすれば自ずと伝統的な五七五七七にぴったり収まる。しかし、現代京都語で短歌を詠もうとすれば伝統的な詩型には当てはまらないことが多い。平安遷都から既に1200年を経たので現代語では五七五七七には嵌りきらなくなったのである。それではどうすれば良いのか。新しい詩型を採用する必要にも迫られる。日本語は古来から奇数の組み合わせを伝統として来た。中国の詩型が偶数を基本として構成されているのと対照的であった。もちろん七言絶句のように一行を奇数文字で書くこともあるが、行数は必ず偶数の対照性を重視するのが中国詩型である。これに対して日本語詩型は奇数を基本として発達した。これは日本語の特性なのであろうか。
音楽に於けるリズムは基本的には二拍子系と三拍子系に分類することが出来る。モーツァルトの協奏曲ではこの二つの拍子でバランスを取って構成されている。端的に言えば二拍子系は行進曲風であり、三拍子系は舞曲風であると言うことが出来る。この二つのリズムを交互に取ることによって、音楽は変化と均衡を保っている。複数の楽章を持つ音楽作品は基本的にはその様に作曲されている。
現代京都語で短歌を詠むためには新しい詩型が必要であるのかを検証しなければならない。五七五七七が三拍子系であるとすれば、二拍子系の短歌はどうなるか。四八四八八なる偶数系の短歌形式を実験してみる価値はあるであろう。この場合は従来の短歌形式より一字増えて32文字となる。みそひと文字ならぬ「みそふた文字」が登場することになる。五七調の三拍子系に対して、四八調の二拍子系短歌の誕生である。それぞれに七五調も八四調もあって良い。それでは実験してみよう。
まずは従来の五七調では、「むかしよりみそひともじにおもひこめやまとこころをうたひつたへり」と詠んでみる。「昔より三十一文字に思ひ込め大和こころを歌ひ伝へり」と漢字仮名交じり文では表現する。これに対して、現代京都語を用いて四八調で詠うとどうなるか。「むかしはさんじゅういちもじいまはなさんじゅうにもじでうとうてみるかな」と詠めば、「昔は三十一文字今はな三十二文字で詠うてみるかな」となる。勿論、現代京都語も五七五七七でも十分に詠むことは出来る。「昔はな三十一文字で今からは三十二文字で詠めばどうかな」と余り無理なく収まる。現代京都語は1200年来の平安時代の言語の直系やから五七調に馴染むのは当然であろう。それでは何の為に四八調なる二拍子系の詩型を持ち出すのか。それは歌物語を歌うのに音楽的な変化と均衡をもたらす為と考えている。行進曲系二拍子と舞曲系三拍子の音楽が交互に来る方がより変化と均衡を実現しやすいと考えるからである。
現代京都語でオペラ(歌物語)を書くなどという妄想めいた事に執り付かれて年月は過ぎたが、どこの国でも文語と口語の乖離は時代と共に進んで行く。そして離れ過ぎると口語の方に調整する言語学的作業が必要になって来る。中井和子先生の「現代京都語訳:源氏物語」は素晴らしい歴史的労作である。京都だけでなく全国で現代京都語による源氏物語の朗読会が開かれているのは喜ばしいと歓迎する。「京ことば」は平安時代よりの直系の言語であるから源氏物語に相応しいのは当然の帰結である。中井先生の現代京都語・源氏物語も五七調を基本とされているのは言うまでもない。中井先生が採用された京ことばは約百年くらい前の京都語であると言われている。21世紀の現在では京都市内でも相当の年輩の方々しか話せない言葉である。平成生まれの京都っ子は聞いても分らないのではないか。そこで時代を先取りして「四八調」なる二拍子系短歌を提唱してみる価値はないことはないと考える。まだ実験段階でどうなることやら結論を述べる時ではないが、短歌に於ける新たな「言文一致運動」と受け取って貰えば有難い。

新しき歌物語生まれなむ京のみやこのいにしへの歌!

New song story might be borne in Kyotienna since 1200 years ago !

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1 Nov 2009

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