自然音律への回帰

music forum

Ky-176

Return to natural temperament

物理学に理論物理学があるように音楽学にも理論音楽学があってもよい。21世紀になってから音律と音階を研究して来たが世界の民族音楽が使っている音律は平均律ではないことだけは実証出来た。それを非平均律と呼んでいる。では鳩や鶯やカラスなど日常の生活圏にいる鳥達の使っている音律は何であるのか。我が庭の楢の木に巣を作っている鳩の番いが毎朝歌っている音律は何かと思いながら聴いている。鳩は二音音階で歌っているように聞える。我が庭の鳩と余所の鳩とは少し音程は違うし、テンポや音の配列すなわちメロディも小差がある。やたらに居るカラスの音色は悪いがポルタメントを常用する。里の鶯はアリアを謳歌する。それにしても鳩の巣の真下に居る番犬の鳴き声はリズムだけの非音楽的な吼え声ではないか。秋の庭には虫の声の交響曲が聞える。では、自然の音楽で使用されている音律は何であるのか。人類の発明した音律とどう違うのか。七音音階のAを440Hzとするのは何故か。この基準音ですらオーケストラにより何ヘルツも差異がある。五音音階の場合は上行音階と下行音階では配列を異にする。十二音音階は誰が作曲しても似たようにしか聞えない。和声の奇麗な純正律も今ではあまり使われない。コンピューター音楽の時代になったが完全平均律では面白くもない。話は取り止めも無いが、音律研究が行き詰まった時に聴く自然の音律は新鮮である
それでは「自然音律」なるものが存在するのか。音程とは相対的な音高で表現している。物理学的な周波数は測定は可能であるが、その絶対値は音楽では意味がないのか。和声の適合やうねりは何故起きるのか。人類の音楽はモノフォニーからポリフォニーへ、そしてホモフォニーへと発展して来た。そのホモフォニーも現代音楽では否定された。現代音楽はカオスの中にある。それならば再びモノフォニーへ返るのか。「
自然音律は果たして存在するのか」という命題に突き当たる。鳩は二音音階で歌いながらコミニケーションに使用していると考えられる。鳩は他の鳥達とは会話は出来るのか。巣立ったばかりの鳩の子どもが庭の草を食べていてもう一匹の番犬に近づいたら犬が「う〜わん」と吼えた。小鳩は少し羽ばたいたが平気で草を食んでいる。人間が近づいても逃げない。少し離れた電線に親鳩が二音音階で歌いながら見守っている。小鳩は聞いているが歌い返さない。ある日に豆を放ると驚いて飛び立ったが、近くの電柱の天辺に帰って来て鳴いている。例の二音音階のテンポで手を叩いてみると庭に降りて来てまた草を食み始めた。小鳩の歌のリズムに合ったのかと嬉しくなる。
人類が使用する共通の音律なるものは存在するのか。鳥達に共通の音律はあるのか。聴覚を有する動物は音は聞えるが、聴き分けられる周波数はどう違うのか。象は超低音で遠くまで通信しているという。蝙蝠は超音波で通信しているが何れも人間の耳には聞えない。聴こえなければ音律は成立しないし通信は出来ない。では鳥と人間は会話できるのか。問題点はますます混乱してきた。最早この世はカオスである。聴覚を有する動物は種によって基準周波数が異なるのか。理論音楽学は基準となる音律論で行き詰まってしまった。
音律論がなければ対位法も和声学もない。「理論的自然音律」という架空の音律をコンピューターで設定できるであろうか。現代のコンピューターはどんな周波数の設定でも可能である。従って、コンピューターはどんな音律でも設定が可能であることは確かである。基準周波数さえ決めれば未知の音律の設計も可能となる。音階の中の配列は等間隔では有り得ない。しかし、主要三和音を実現するには相対的な音程の設定が必要である。和声が必要でないのであれば音程は任意の乱数表から設定することになる。そんな乱数音階で作曲すれば聴くに耐えない音楽しか出てこないのではないか。それは果たして音楽と言えるかどうかも分らない。この研究は迷宮に入ったが、出口は当分は見つけられない。あと千年待って、第二のモーツァルトの出現に望みを託す他はあるまい。ひとつだけ確かなことがある。それはテンポである。音楽は時間に関する関数であるとすれば、時だけは万物共通ではないか。だから音楽ではテンポが一番重要な要素であると考える。そのテンポも千変万化して止まることはない。
真夜中に庭の小さい池で蛙が一声鳴いた。木の枝の巣にいる鳩も、その下の番犬も聞いたに違いないがその意味は分らない。ただ夏が近いことだけは感じられる。

朝ぼらけ鳩なく庭に春が来てカオスの歌を聴きて目覚める!

Pigeon call had awaked us in an early morning of spring time !

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15 May 2009

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W.A.Mozart: "Piano Concerto Nr.20 & 21" F.Gulda and C.Abbado VPO 1974

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