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Forget not your intention |
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伝統的な芸能界では「芸は盗め」とよく言われます。もちろん芸の基本が出来てからの話でありますが、最高水準の芸は口で説明することも出来ない。文字で記録することも出来ないのであります。しからば師匠の振る舞いを視て盗むしかないというのが古今東西の諺にもなっています。最近では若くして「誰も教える者がいない」という水準に到達したギタリストの村治香織さんはスペインの盲目の巨匠であるJ.ロドリーゴの最晩年に師事したとのことであります。村治さんにとってはギターの弾き方などを教えて貰う必要もありませんし、音楽の講義も必要ないでしょう。ロドリーゴ先生が何を食べ何時眠って何を考えて生活をしておられるか。どんな歩き方をされるか。どんな表情の方なのか。どこに住んでいてどんな環境の町なのか。この様に先生の起居振る舞いの一部を身近で見聞するだけで十分なのではなかったでしょうか。特にテンポの取り方などは説明のしようもないので将に盗むしかないのであります。モーツァルト作品の演奏では20世紀のスタンダードを確立したK.ベームさんのテンポを聴くには定番のCDやDVDが多くあります。しかし、メディアの再現と生演奏との乖離はあるとは思います。過去の指揮者の演奏はもう誰も生で聴く事は出来ません。音質ではメディアは生演奏には遠く及ばないことは分ります。しかしテンポだけはメディアと生演奏では0.001秒の単位で比較しても大差はないのではないかと考えています。それ故に気に入った指揮者の再現記録は何百回も聴きます。そうすればその指揮者のテンポ観が徐々に分って来るのであります。演奏の度ごとに変わることも感じられる様になります。ましてや指揮者が違えばそのテンポは全く異なります。その結果は演奏時間の合計に現れます。現在はモーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」をN.アルノンクールさんとK.ベームさんのを聴き比べていますが、テンポの配分と演奏時間も大きく違います。アルノンクールさんはベームさんよりもかなり遅い時が多いようです。何時かご紹介しましたが、ベームさんは他の指揮者を評して、「遅いところは遅すぎる。速いところは速すぎる」と述べておられる。このレベルの誤差を聴き取るには、何百回もそれ以上に聴き込まないと分らない訳であります。これは芸事で言えば「芸は盗め」と云う事に通じるのであります。従いまして芸術家にとって最高水準の感性を磨くには、如何にして良き師匠に出合えるかどうかが全てという事になります。自分の能力を120%引き出してくれる師に付かなければ平均値以上には上がれないという結論に到達致します。村治香織さんは3歳からお父さんにギターを習って来られた後は、日本とフランスの最高峰の先生に習われた。先生方は「もうあなたに教えることはない」と言われたとか。そうして最後に巨匠のロドリーゴ先生に邂逅する幸運を得られたのであります!村治香織さんが40歳を過ぎられたらそれは素晴らしい世界最高水準の演奏を聴かせてくれると今から待ち望んでいる者であります。是非とも長生きをしてお聴きできれば幸せでありますね。 最高水準の芸境に到達された方々には必ず立派なお師匠さんが付いています。K.ベームさんには、B.ワルターとR.シュトラウスという最高の先生がいました。小沢征二さんにはL.バーンスタインとH.カラヤン先生がおられました。野球のイチロー選手も河村コーチと新井コーチや仰木監督に出会えなかったら今のイチローは無かったと思います。芸事の初歩から最高水準までそれぞれの段階で先生が必要なのです。それは「芸は完成することはない」からであります。逆に申せばレベルの低い先生に付けば持っている才能も芽を出すことが出来ないということであります。音楽の演奏に於いてもその演奏をお聴きすれば、その方の先生がどんなレベルかは推測出来ます。普通のお弟子さんはその先生を越えるのは難しいからであります。もし、とんでもない凄い演奏家がいれば、その先生は更にその上を行く方であると容易に分ります。指揮者もまた然りであります。「出藍の誉れ」は稀にしかありません。 ではどうすれば自分の能力を引き上げてくれる先生に出会えるのでしょうか。それは自分で一生懸命に努力してもどうしても越えられない水準にまでは自分で辿り着くしかありません。自ら努力もしないで先生を求めても意味がありません。そうして長年に渡って悩みぬいている時に初めてよい指導者に出会える可能性が芽生えます。聖書では「神は自ら助ける者を助ける」と教えています。自ら求めていないのであれば師に出会えることは有り得ません。目の前に巨匠がいてもそれに気づくことも出来ません。自己の業績に満足した瞬間に芸事の進歩は止まります。こころすべき事であります。世阿弥はこのことを伝えたくて、「初心忘るるべからず」と申されました。 それでは私にはその様な先生がいるのかと問われれば「いる」と答えます。しかし現代人ではなく全て過去の巨匠たちであります。作曲家ではモーツァルト先生ですし、指揮者では何と言ってもK.ベーム先生であります。それですからベーム先生の演奏記録が多数遺されていることはこの上ない幸運であります。20世紀の技術革新が人類に与えた福音でもあります。しかし、モーツァルト先生の演奏記録は聴くことが出来ません。遺された自筆楽譜があるだけですね。でもそれをベーム先生が指揮をすることでモーツァルトの時代の演奏を類推する事ができます。アルノンクール先生は「古樂」と云ってモーツァルト時代の楽器を使って当時の演奏習慣で再現する研究を長年続けて来られました。現在ではベームとカラヤン亡き後の世界最高の指揮者のお一人でもあります。巨匠たちが遺された20世紀の演奏記録こそ私の師匠であると言う他はありません。生演奏のコンサートは聴きに行けても一回しか聴けません。CDやDVDからは何回でも聴き続けられます。これは20世紀に生を受けた者に与えられた福音でありますから神に感謝申し上げる他はありませんね。 |
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25 Feb 2009 |
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