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Classical school to Romantic school |
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2006年10月から開始した「ミュージック・タウン」という地域FM局での番組も三年目に入りまもなく第100回を迎えます。モーツァルトから始まってモーツァルトで終わる10年間500回シリーズの息の長い番組ですが、ようやくロマン派の入り口まで到達しました。モーツァルトからベートーベンを経てモーツァルトの義理の従弟であるウェーバーの「舞踏への勧誘」やオペラ「魔弾の射手」で扉を開いた「ロマン派」ですが、ベルリオーズを経て遂に旗手リストにバトンは渡されました。パガニーニ、シューマン、メンデルスゾーン、ショパン、ワーグナー、J.シュトラウス、ブラームス、チャイコフスキー、ビゼー、フォーレ、ドビュッシー、R.シュトラウス達へと続く華麗な時代が開花しました。しかし現代音楽に移行して間もなくシェーンベルクによって「十二音技法」なる完全無調主義の音楽理論が完成して、約400年の西欧音楽の時代はここに終焉を迎えました。1950年以降は混沌の時代に突入して後世に残せる様な作品はひとつも生まれていません。世界の純粋音楽は何処へ行こうとしているのでしょうか。それは誰にも分かりませんが、モーツァルトを頂点とする古典派音楽の完成のあとはその古典形式を解体して崩壊に導く過程の始まりがロマン派音楽でありました。その最大の原因である「無調主義」の最初の作品がリストの「無調のバガテル」(1885)であり、シェーンベルクの「清められた夜」(1917)で完成したと言えます。十二音の全てを使った作品は、バッハ、モーツァルトにも既に現れていますが調性が全ての時代でありました。リストとワーグナーは調性を破壊するのに最も貢献しました。そしてその終着駅に立ったのがシェーンベルクでありました。 何故に現代の作曲家は調性を嫌うのか?私には到底理解は出来ません。バッハが基盤を整備してモーツァルトがその最高峰を極めた古典派音楽形式は完全であったし誰が聴いても心地よいものであります。建設と破壊の繰り返しが世界の歴史であると言うのなら、音楽の世界も例外ではないのでしょうか。古典派音楽は形式が全てであるので聴き手も安心して聴くことが出来るし、美しい旋律の楽しい繰り返しにこそ醍醐味があます。ロマン派に到るとその音楽形式は変化して「何が出てくるか分からない」という不安があります。部分的に美しい旋律が出てきても繰り返すことなく直ぐに激情的な不協和音に掻き消されます。聴衆は不安と不快な感情を残してコンサート会場を後にするしかありません。それでもロマン派の時代はまだ良い。調性も一部に残っていたし、不協和音の使用も制限されていた。リストの晩年とワーグナーに到っては古典派時代の音楽理論は完全に放棄されました。その結果20世紀以降の純粋音楽の世界では聴衆はまだ置き去りにされたままであります。 職人と芸術家という分類がよく成されます。モーツァルトは自分の芸術のために作曲した作品は皆無に近いと言わなければなりません。モーツァルトは偉大な職人と言っても過言ではありません。すなわちモーツァルトは聴き手や依頼者のために作曲する初めての職業作曲家であったのであります。ロマン派の作曲家たちは決して聴衆のために作曲はしていません。「芸術家」として自己の芸術理論や思想に基づいて自らの芸術のために作曲したに過ぎないと言えます。聴衆はお金を払ってまで芸術家の自分勝手な音楽作品を聴きに来る時代になっていたのであります。現代作曲家でシェーンベルクの弟子のジョン・ケージには「4分33秒」という作品があります。この作品は文字通りコンサートが始まってから4分33秒の間演奏者は弾く素振りだけで何の演奏も行わないのであります。この様な作品を音楽と言えるかどうかも、またこれを聴きに行く価値があるかどうかも考えられなければなりません。シェーンベルクはかってウィーンであまりに不協和音ばかり使うので怒った聴衆に追い出されたことがあります。現代の聴衆は随分と大人しくなったものですね。この曲の趣旨は音楽を演奏しない代わりに、周りに聞こえてくる日常生活の中での音に注目してほしいとのことでありますが、それは最早音楽とも芸術とも言えないのではないでしょうか。 音楽の世界では混沌として行き詰ると必ずと言ってよいほど「新古典主義」が再現して来ました。しかし、新古典主義を目指してもハイドン、モーツァルト、ベートーベンを超えることは不可能なのであります。真似事の古典主義なら、モーツァルトそのものの方が遥かに聴くのによいに決まっています。こうしてモーツァルト生誕250年を経てもモーツァルトはますますその輝きを増すしかないのであります。バッハも見直されて来ました。こうして現代音楽ではいわゆる「不毛の時代」が続いています。モーツァルトに匹敵する作曲家が現れない限り古典派を超えることは不可能に思えます。ロマン派音楽は西欧音楽が崩壊に向い始めた時代の仇花の様な刹那的な美しさを一時感じさせてくれる思いが致します。現代音楽は「聴いても意味が分からない」という時代でしかありません。幸か不幸かモーツァルト以後の音楽はこの様な歴史的な過程に突入したのであります。 |
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5 Sept 2008 |
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