みやびか

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Ky-167

Opera Miyabica Kyotienna

京都オペラの構想を抱いて45年が過ぎ去った。多忙な職業を理由に歩みは亀よりも遅かったのが悔やまれる。2008年の正月休みの全ての時間をオペラ総見に当てた結果、ワーグナーの「指環」の異なる三公演を視聴した。能の「隅田川」も見る機会に恵まれた。オペラだけでなく、オペラと同年に生まれた歌舞伎も見たい。総見をしている内に感じることがある。物語の背景にある精神は何か?ということである。能は「幽玄」の世界を描こうとした。歌舞伎は「粋」であろうか。では平安時代の歌物語のオペラ化である我が京都オペラの精神は何か? それは雅楽という名称も示す通り、「みやび」である。京都オペラはラテン語でOpera Musica Kyotiennnaと訳しているが、別名をOpera Miyabica Kyotiennaと呼びたいと思う。ウィーンで書かれたモーツァルトのオペラにはウィーンという音楽の都の華やかさを感じることが出来る。何となく華やいだ雰囲気があるが、ワーグナーのオペラ「楽劇」には華やかさはない。質実剛健なドイツ魂を覚える。ヴェルディの多くのオペラには興行のための商業主義を見てしまう。京都で完成した「雅楽」は文字通りのみやびの精神の音楽化である。京都の雅のルーツは唐の宮廷文化であろう。朝鮮半島経由の右方の舞と大陸直伝の左方の舞とが一対になっているのも興味深い。唐王朝の文化はシルクロードの東の終点である京都に伝わると千年という時間を懸けて熟成して日本的な「みやび」として開花したのである。中国料理の様な油濃い華やかさではなく、京料理の様な淡白で控えめの自然の味を生かした味である。その伝統は能楽の「幽玄」も、歌舞伎の「粋」も生み出したが、平安時代の「」は何時しか廃れてしまった。京都オペラが目指すのはその失われた「雅」の伝統の復活である。京の野に咲く一輪の草花であっても、そこには雅の精神が宿っているのである。嵯峨野で見る月が何故あんなに美しいのか?何処で見ても同じ月であるのに、京都で見る月は他所で見る月とは同じではない。
「源氏物語」で初めてその存在を知られた「伊勢物語」の第一段に、「
昔人はかくいちはやきみやびをなむしける!」とある。この雅の精神こそ平安貴族の心意気ではないか。我が京都オペラでは、物語の中にこの雅の精神が宿っていることを言葉ではなく音楽で表現したい。いと貴きものは言葉では説明できない。みやびの精神による芸術活動をみやびかMiyabicaというラテン語化で呼んでおこう。現代京都語に「はんなり」という言葉があるが、このニュアンスは雅の現代化を表現している。この様な高貴な精神は千年単位でしか熟成出来ないことは、世界の古都を見れば理解できるであろう。日本語の場合は「短歌を如何にして歌うか?」ということである。「源氏物語」の全編を現代京都語に翻訳された方がおられる。その朗読のテープも聴いたがはんなりした雰囲気はよく伝わって来る。しかし、平安時代の京都語は現代よりもっと簡潔で力強い言葉であったに違いない。五七五七七の形式に並べて詠むのに相応しい言語であったと考える。この短歌形式をどの様に歌うかが京都オペラの最大の難関である。45年の研究に於いてもまだ結論が見えない。我が悩みは深い。後白河法皇が編纂された「梁塵秘抄」には歌詞は一部現存するが楽譜に相当する部分が殆ど欠如している。まことに残念なことではあるが、鎌倉末期頃にどんな歌い方がなされていたかは解らない。田楽や猿楽などから能が集大成されたが、その謡い方は600年後の現代まで正確に伝えられて来た。それ自体は素晴らしいが、平安時代の歌謡の歌い方は解らない。能は武士階級が育てたので簡素化された象徴主義の表現法が見られる。在原の業平の「伊勢物語」の歌はどう歌えばよいのか?それは誰にも解らない。しかし、京都オペラでは歌わなければならない。謡うのでなく歌うのである!即ち、レチタティーヴォではなくアリアとして歌うのである。冷泉家のあの語尾を長く伸ばすだけの謡い方ではなく、平安の雅を歌う歌い方は別にあるのではないかと考える。それを記録した文献もなければ録音媒体も残されてはいない。李延年が漢の武帝に命ぜられた「周楽」の音律は遂に解明出来ず、西域のホータン即ち古名を「越天」と言うらしく、今に「越天楽」が雅楽と共に京都に伝わった。しかし唐風の歌い方は伝わったが、国風の歌い方は全く解らない。それではどうすれば解るのか。現代ではコンピューターという「電脳」があるのでその文明の利器を活用して1300年前の平安時代の歌を復活させたいと夢見る2008年の幕が開いた。前途遼遠であり年々歳も取って行く。余生に残された時間には限りがある。更に研究に没頭しなければならない。その為には我が人生のゴールに向かうのに必要なものだけを残して後は全て割愛するしかない。2023年2月8日まであと14年と一ヶ月しかない。亀よ、ゆっくりでももっと急げ!都はまだ遠いのではないか?新春に思うわがみやびの心や如何にである。

初春のみやびの心如何にある、夢に向かひて時は過ぎ行く!

How be the spirit of Miyabi, time passes for my dream eternal !

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15 Jan 2008

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