京都から新しい日本語オペラを!

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Ky-158

New Opera from Kyoto

平安時代の雅楽や声明、室町時代の能楽、江戸時代初期の歌舞伎、日本伝統の筝曲や謡曲などは全て京都で生まれました。歌舞伎とオペラが世界の東西で同時に誕生して既に400年が経過しました。どちらも過去の輝かしい伝統に安住して新しい作品を生み出すことが出来ないでいます。時代も移り変わり、安易な大衆芸能が全盛の世になっています。雅楽、声明、能楽、歌舞伎の日本が誇る四大音楽芸術を生み出した京都から第五の芸術として、新しい日本語オペラの誕生を期待する者であります。この一連のホームページは「京都から新しい日本語オペラを発信する」ために開設されました。構想の段階や歴史的考察を最初から公開して、後に続く世代に受け継いで頂きたいために敢えて公開に踏み切った訳であります。「播かぬ種は生えず」と言う通り、種を播かない限り何も生まれません。京都という日本伝統文化の揺籃の土壌に新しい種を一粒播いておけば、何時の日にか新しい文化の芽が育つ可能性があります。そのことをのみ期待して浅学非才を省みず、発信を続けて来ました。45年に及ぶ我が音楽研究の集大成でもありますし、学生時代からの日本語オペラを書くという夢の実現に向けて亀さんの様に遅い歩みでしたが、余生が短くなるともう少し速く歩きたいと思うのもご理解を頂ければと思います。
京都から発信したい新しい日本語オペラの基本構想は以下の21か条であります。順次簡潔に申し上げますが、夢物語なので何時実現するかは予想できません。3〜4世代を経て100年以上経たなければ開花しないことは当然予測されるところであります。文化は本来の目的は商業ベースではありません。文化は世界の人々が等しく共有すべきものであり、基本的にはアマチュア精神に支えられるべきものであります。アマチュアとは商業目的ではないという意味であり、素人集団という意味ではありません。どんな分野にもアマとプロがありますが、金を儲けるために行うのがプロで、金のためには行わないのがアマの定義でありますから、プロの方がアマより水準が必ずしも高い訳でもありません。プロは儲からないことは出来ないのでプロからは新しい作品は生まれ得ません。種を播き若芽を育てるのは何時の時代にも
パイオニアと呼ばれるアマチュアの仕事であります。音楽少年の夢を追って来た者が何時の間にか老年期に達しようとしているのでありますから、幾らかはご理解が得られたら幸いであります。
京都から発信したい新しい日本語オペラの構想は次の様なアウトラインであります。
(1) 登場人物は三人を基本としてあと2〜3人は追加出来ます。これは能楽のシテ、ワキ、ツレの基本構造を踏襲するものであります。
(2) 時代背景は京都のあらゆる時代を考察致します。激動の時代もあれば平和な時代もありました。
(3) 舞台の場所は京都だけでなく、物語に関係する地域も含まれます。
(4) 幕数は原則として二幕ものとして簡素化を目指します。
(5) 語り手を登場させます。これは能楽のアイ子方を踏襲するものであります。出来れば少年少女のペアでお願いしたいと考えています。オペラのSpeakerやPierrotに相当します。語る言葉は会話体の場合もレチタティーヴォの形式を取ることもあります。
(6) 舞台は通常の平面で小規模オーケストラも同じ舞台で伴奏して頂きます。オペラの様にオーケストラボックスは設計しません。オペラの簡素化という命題がありますから。
(7) 花道は日本の舞台芸術では通常の装置でありますので、これをそのまま踏襲致します。役者と観衆が一体となる重要な意義があると考えます。
(8) 伴奏と演奏をするオーケストラは室内楽程度の規模に抑えます。現代のオペラの様な規模には出来ません。何処へでも移動出来る舞台を目指しています。能楽の様に数種の楽器だけで伴奏することもあります。
(9) 指揮者は置きません。通奏低音・高音奏者が兼ねることに致します。バロック時代の室内楽の様式を取り入れる形になりますね。
(10) 京都が生んだ舞台芸術の伝統は踏襲致します。雅楽、声明、能楽、歌舞伎、筝曲、謡曲の伝統を引き継ぎたいと考えます。歌い方は日本文化史上初めての旋律的に歌える可能性を探ります。滝廉太郎以来途絶えている国楽の伝統の復活と継承を期待する者であります。
(11) 京都には童歌はありますが、民謡がありません。子供が歌う童歌は日本の歌の原点でもありますから、必ず一曲は挿入致します。
(12) 音楽をどうするかは最大の問題であります。明治100年を経ても未だに解決出来ない日本人にとって永遠の課題でありますが、雅楽以来の日本の伝統音楽を研究することで何らかの仮の結論を出したいと考えています。現在までの研究では、「
非平均律五音音階」を採用する予定にしています。
(13) 演奏時間は150分を越えない様にしたいと考えます。120分から150分が適当ではないかと予測しています。60分の短いオペレッタもあっても良いと思います。グランドオペラの様に3時間から8時間に及ぶ長大な作品は現代では上演不可能であります。
(15) 衣裳は簡素で動きやすいデザインで纏めたいと思います。京都は日本の服装文化のメッカでもありますのでその歴史的資料は蓄積されています。
(16) 舞台装置も華美豪華にならない様にしたいと考えます。廻り舞台やせり上がりは歌舞伎の伝統でもありますので、その設備のある舞台では使用したいと思います。セットも出来るだけ簡素にしたいので能楽のあの究極の象徴主義を参考にしたいと考えています。
(17) 舞踊は日本の伝統でもありますが、摺り足を基本とする踊りは取り入れます。部分的にはダンスの要素も挿入したいという希望もあります。
(18) 声楽は日本語オペラの生命線であります。これは永遠のテーマなので後100年でも解決は難しいでしょうが、「夕鶴」の水準は越えたいと念願しています。
(19) 台詞はどうするかも大きい問題であります。不自然なレチタティーヴォよりも「魔笛」の様に会話体の方がより相応しいこともあります。作品毎に臨機応変に選択して行きたいと思います。
(20) カーテンは原則として有りません。照明を工夫して幕間を演出します。これは既に世界各地で実践されていますから。
(21) 小規模な形態にするのは移動舞台が目的であります。オペラの簡素化はオペラ改革の原点でもあります。団伊玖磨先生は「二人オペラ」を書くと生前に語っておられましたが、私達は能楽の伝統に従って「
三人オペラ」に拘ります。ドラマの基本構造は三角形ですから、Dramatic Triangleの原則を尊重致します。哲学的には正反合の構図が背景にありますね。二人では漫才になってしまいドラマの客観性が失われるからであります。
さて、出雲の阿国が北野神社で踊ってから400年以上が経過しました。四条河原で興行を始めた歌舞伎は今もその近くの南座の顔見世興行でその伝統を誇示しています。しかし女性が演じないという不自然な状態が続いています。京劇に習って
女性も演じる時代に返るべきではないでしょうか。歌舞伎が生まれた時代にはバテレン文化も伝えられて西欧音楽に日本人は初めて接する機会を得ながら自らその道を絶ってしまいました。明治維新まで約300年間も孤立を続けました。そのために日本語オペラは誕生しなかったのであります。滝廉太郎の没後100年を経過した21世紀初頭こそ、日本音楽の悲願が達成される可能性の時代を迎えました。日本音楽の将来は少数の天才と多くの優秀な若者に託されています。私達が京都の地に播くささやかなオペラの種が、22世紀には芽を出して青葉に成長する夢を今年の初夢としたいと思います。そしてやがて京都が生み出す第五の舞台芸術として、京都がウィーンと並ぶ音楽の都となる夢も見たいと希望する次第であります。

初夢は京のオペラを立ち上げし、ウィーンと並ぶ楽の都に!

A new year dream is the musical Capital of Kyoto like Viennna !

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1 Jan 2007

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